囚人検事と見習い操縦士

十三
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●十三

 その背の高いきれいな女の人によく会うようになったのは、粋子が刑務所に通い出して2か月ほどが過ぎた頃だった。窓口に面会の用紙を出していると、後ろからヒールの音がしてその女性が現れる。あるいは一歩先に受付に立っている。

 粋子のほうは、あれからずっと面会拒否だ。職員が紙袋を返しながら、「ご苦労さん」と憐れみをおびた声をかけてくれる。今日も差し入れすら受け取ってもらえなかった。
「あの‥‥」
「何だね」と顔見知りになった職員が顔を上げる。
「ギンは‥‥‥。夕神さんのタカはここにいるんですか?」
「ああ。あのタカは法廷に住み着いてるって噂だよ。裁判になると、どこからともなく飛んでくるんだってさ」
「そうですか」

 ギンは裁判所にいるんだ。彼女にとって裁判所は刑務所と同じぐらい、いや、今は刑務所以上になじみのない場所だ。‥‥‥せめて、ギンに、会いたい。粋子は、唇をぎゅっと結んでその気持ちをなんとか押し込める。

 待合の長椅子にはすでに、白い服の、あの背の高い女性がいた。ピンクのタイツに包まれた長い脚を組んで座っている。なぜかじっと見られているような気がして、粋子は少し緊張してその前を通り過ぎた。
 粋子がここに来るのはいつも同じ時刻だ。土曜日の午後2時。整備士補助のバイトを始めてからは、毎週この時間ちょうどになる。あの女性もなにか都合があって、同じ時間になっているのだろう。それだけのことだと思うが、ここ最近は毎週のように会うので、どうしても気になってしまう。

 管理棟の玄関に立つと、冷たい雨が降っていた。
 ひと月、またひと月と「その日」が近づく。彼の刑が執行される日。
 自分がしていることが正しいのか、彼女にもわからない。ただ何もせず、その日を待つことはできなかった。

 玄関前は、2階部分の渡り廊下が屋根代わりになっている。粋子はその濡れないところで傘をさして、正門に向かった。会ってもらえなくて悲しくて、涙を拭きながらこの道を帰ったこともある。今はもう涙は出ないが、寂しさには変わりがない。

 彼にはもう疎まれているかもしれない。それなのに、こうして毎週通ってくる自分はおかしいのだろうか? 家族でもないのに、一言でも話したいと願うのは。収容棟の敷地は、くすんだ色の建物が並んでいる。今日は、雨にけむる中、ときには見える人影も見えなかった。


 ◎ ◎ ◎


 それからまたひと月ほど過ぎた頃。仕事が休みの日、粋子は、宇宙センターに足を向けた。大河原さんのいとこがセンター長をやっているこのGYAXAは羽咲空港からもそう遠くない。ロケット開発をしている施設だが、一部は観光用に公開されている。

 季節は移り変わり、晩冬の薄い日がエントランスの広場に差していた。家族連れがにぎやかに記念写真を撮っている。粋子も子供の頃にはよく通ったところだが、大人になって訪ねる機会はなかった。だけど、最近では時間ができると来てしまう。

 6年前まで、夕神が心理学を学んでいたという場所。その師匠の女教授が殺された、ロボット研究室もこの中にある。彼の人生を狂わせたこの場所は、怖ろしいと同時に、あまりにも彼と関わりが深いような気がして、粋子を引き付ける。

 センターのパンフレットには研究室は載っていない。見学スペースと、そこへ行くための3階のラウンジだけが一般人が出入りできる場所だ。残りはセキュリティで厳重にガードされている。粋子は、ラウンジでエレベーターを降りた。


「落としたわよ」

 すれ違った女性に声をかけられ、粋子は振り返った。差し出された手の上に、ギンの羽根と赤い紐があった。バッグにつけていたのが、ほどけて落ちてしまったようだ。
「あ。すみません」
 両手でそれを受け取る。少しだけ毛先が乱れてしまったが、艶のある縞模様の羽根。赤い紐。どちらも大切なものだ。ちゃんと礼を言おうと、粋子は顔を上げた。

「あっ‥‥‥」

 そこに立っていたのは、あの女の人だった。刑務所の面会室でよく一緒になる、白い服のきれいな人。その人が、薄く笑みを浮かべた。

「ちょっと話さない?」

 女性は粋子の返事を待たず、カツカツと先に歩いて行く。粋子は、困惑しつつ、おずおずと付いていった。



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