囚人検事・番外編

□十一月
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「夕神さん」
 こんもりとした布団の影に向かって言うが、身じろぎもせずしんとしている。
「夕神さん!」もう一度、大きい声で呼ぶ。
「‥‥なんだ」
 諦めたように、くぐもった声が返ってきた。
「まだ眠くないです」
「おとなしくして目ェつむってりゃァ、そのうち眠くならァ」
「そっち行っていいですか」
 夕神の布団に近づき、そろそろ手の先を入れてみる。体には届かないが、ほんのりと温かい。

「ばっ、バカ言え」
「一瞬だけ。そしたら、おとなしく寝ますから」
「ヘッ。おめえさんは、男ってモンがわかってねェな」
「‥‥‥せっかく外泊してるのに」
「だったら、もう外泊はナシだ」
「そんな‥‥‥」
 そっけない言葉に悲しくなり、粋子は布団のなかで鼻をぐすんと鳴らした。

「泣くなアホウ」
 言われるともっと悲しくなり、彼女は布団を頭の上までかぶって小さく泣き声をもらす。
 隣りの男が、動く気配がした。掛布団の端が重くなったと思ったら、横から布団ごと抱きしめられた。
「粋子よォ‥‥」
 夕神は頭の上から呼びかけ、そして続けた。

「取っとけ。他の男に」

(‥‥‥‥!!!)

 全身の血が逆流し、体じゅうが熱くなる。粋子は布団の中でジタバタと暴れた。
「バカバカバカッ!!!」
 隣りに寄り添う男の身体を、布団ごしにめちゃくちゃに蹴る。
「痛ェだろうが! 落ち着けコラ」
 夕神が押さえつけようとするところを、さらに暴れる。
「バカバカ!!! 他の男とか言わないで!!!」粋子は布団に埋もれたまま涙声で訴えた。

「今は一緒にいるのに‥‥!」
 そう言葉に出すと、暗闇の中にたった一人取り残されたように寂しくなる。

 黙って聞いていた夕神は、少ししてから、「ごめんな」とひどく素直な調子で言った。粋子が顔を上げようとすると、それを押しとどめるように、また布団ごとぎゅうっと抱きしめられた。布団を通して彼の腕の力を感じる。

「‥‥おめえさんが眠るまで、こうしててやらァ。それで勘弁してくれ。なァ?」
「夕神さんのバカ‥‥‥」
「ああ。バカだ。大バカさァ」
 静かで優しい声だった。その声は、粋子の全身を包んでなだめ、二人の距離の辛さを和らげてくれた。


 ◎ ◎ ◎


 次の日の朝遅く。
 夕神が淹れたコーヒーの香りがダイニングに漂っている。研究室から帰ってきたかぐやは、肩にギンを乗せていた。その姿でテーブルの脇に仁王立ちになると、ぼうっと座っている二人を交互に見比べた。

「ちょっと! アナタたち二人とも、目が真っ赤じゃない!」
「‥‥あァ。ゆうべコイツが寝かしてくれなくてよォ」
 夕神は、隣に座る粋子の頭を、大きい手でつかんで軽くゆする。
 そうされて彼女は、うふっ、と照れ笑いをした。

「ハッ! よくもまあ実の姉に向かって、そんなコト、恥ずかしげもなく言えるもんだわ!」
「‥‥‥ちっ、違わァッ! コイツが一晩中、隣でくっちゃべってやがって‥‥‥」

 夕神がまだ掠れぎみの声で言い返し、粋子も、誰に問われるでもなくコクコクとうなずいた。なにしろ刑務所の面会時間は短すぎる。久しぶりに長い時間一緒にいられて、話したいことが山のようにあったのだ。

「おおヤダヤダ。若いって、ほんッとにどうしようもないわね! ねえ、ギン」
「クエエェェ」
「か、カン違いすンじゃねえッ! ギンを返せコラ!」

 粋子は、そんな調子で姉弟が言い合うのを、まだぼうっとする頭でうっすら笑みを浮かべて眺め続けた。

(おわり)


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