囚人検事・番外編

□一月
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一月


 新年の仕事始めの日、検事局ロビーは思ったより静かだった。
 粋子がここに来るのは2度目だ。ついこの間まで何の関わりもなく、存在も知らない場所だったのに、今は、その堅苦しいたたずまいにすら親しみを感じる。

 夕神は暮れのあの夜、7年ぶりに自由を手に入れた夜、一晩を彼女の部屋で過ごした。翌朝早く彼は、ふりそそぐ朝日の中でいきなり「これからおめえさんを検事局に連れて行く」と言いだした。言われても粋子には仕事があったし、社長に見つからないうちに彼を事務所から追い出すのがせいいっぱいだった。結局ここに来られたのは、今日、年が明けてからになったのだった。

 ざわざわと人の気配がしたと思ったら、エレベーターホールのほうから歩いてくる長身の男が目に入る。周りから頭一つ出て、遠くからでもすぐにわかる。彼は、囚人になってからもずっと、このビルに執務室を与えられていたらしい。
 軽く手を上げた男に駆け寄り、粋子は促されるまま一台のエレベーターに乗り込んだ。
「スジを通しとかねェとな」
 夕神は、扉が閉まるなりそう言った。彼の指が押したのは、最上階のボタン。もちろん局長室があるフロアだ。


 前は一人で座った赤いソファに、今は夕神と並んでいる。部屋の豪華さと静けさに、2度目であっても粋子はすっかり固くなっていた。隣からも、少しばかり緊張が伝わってくる。
 検事局長は、この間と同じように奥のデスクからゆっくり歩いてきて、向いに腰を下ろした。眼鏡ごしの瞳と目が合って、粋子はドキッとしてとっさに会釈する。

「正月早々、時間をとらせちまいまして‥‥」
 夕神も神妙な様子で言った。両膝に置いた彼の手首にはもう手錠も鎖もついていない。たたでさえ大きい手が、あの手錠がないとよけい大きく見える。
「うム」
「その‥‥」と背筋を伸ばして夕神は一瞬言いよどむ。

「仲人のお願いか?」

 御剣の旦那は口の端を上げると、粋子が知るよりくだけた口調で言った。
「グウッ!」夕神は、低くうめいてのけぞる。「お、俺たちゃァ、まだそンなトコまでの話はしちゃいねェ。なァ?」
 そう言って粋子に顔を向ける。彼の頬には、うっすらと血の気が差している。
「うん‥‥」
 彼女は、その瞳に小さくうなずいた。

「それによォ、独身のダンナに、ンな酷なこたァ頼めねェよ」
「ぐッ!」
 今度は局長がうめくが、夕神はかまわず話し続ける。
「姉貴の件もカタがついてねェですし‥‥俺にしたってまだ大手振れるような身分じゃァねェ」
 かぐやの裁判は年末に序審を終え、もうすぐ本審にかけられる予定だ。夕神自身も、検事でありながら真実の証言をしなかったことで、検事審査会というところで処分を検討されているらしい。
 夕神が膝の間で両手を組むと、黒いジャケットから真っ白なシャツがのぞく。手首に見える手錠の痕は、まだ当分消えそうもない。

「では、なんの用件だ」

 御剣の旦那は、粋子にも問うような目を向ける。その鋭い視線を受けて彼女の胸はまたドキドキしてくる。目つきは怖いけど本当にかっこいい。
「去年、コイツが勝手にここにジャマしたうえに、ダンナに世話になっちまったみてェなンで‥‥」
「あの時は、ありがとうございました!」
 粋子は、がばっと頭を下げた。
「詫びをかねて、正式にダンナに顔を通しておこうと思ってなァ」
「ふム」
「俺の、その。アレとして」
「ほう。キミの、アレか」
「あァ」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
 粋子はふと押し黙った二人の男を見比べる。アレ、でとりえあえず話は通じたようだ。

 夕神から目配せされて、粋子ははっと思い出した。
「あっ! あの。名刺を!」
「ム?」
「私、自分の名刺を持てるようになったんです‥‥」
 バッグの中に手を入れて、カードケースを探す。見習いを終えて、ついに操縦士としての名刺を作ってもらった。さっき夕神にも渡したばかりだ。緊張しているせいか、なかなか見つからない。
 あった。
 やっと探り当て、急いで一枚取り出した。腰を浮かすと、頭より上に掲げてうやうやしく旦那に差し出す。

「あらためまして、初場粋子と申します!」
「頂戴する」
 局長は、礼儀正しく言った。こうやって多くの名刺を受け取ってきたであろう手を、すっと差し伸ばす。そして、粋子の手から名刺がふわりと消えたとき‥‥‥。

「ぬおおおおおおおおおぉぉ!!」
「ひいっ!」

 予想外の雄叫びに、粋子は怯えて、ソファにどすんと尻もちをついた。
「こ、こ、これは‥‥ッ!」
 局長は名刺を手に、カッと目を見開いている。名刺にしては色がおかしい。キラキラしている。
(あっ‥‥‥!!)
 粋子は、自分のしでかしたことに気づいて、全身からサァッと血の気が引いた。



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