囚人検事・番外編

□一月
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「ここで偶然会ったんだよ。夕神さんのこと30分待ってるって言ったら、お茶おごってくれたの。旦那ってほんと親切だよね」
「チッ。審理が長引いちまったンだ。しょうがねえだろッ!」
「いきなり何怒ってるんですか。裁判に負けたんでしょ」
「負けてねェよ。怒ってもねェ」
「そうかな」
「で? 何してた」
「御剣の旦那と?」
「ああ!」
「何って、話してただけだよ」

「話してるだけで、手ェつなぐかァ?」
 夕神は腕組みをすると、椅子に背をそらして彼女を見下ろす。
「手つなぐ? ああ。あのことか。今日、救命の講習だったんだけど、脈を測るのが難しかったって言ったら、旦那が私の手を取って教えてくれたんだよ。ここのところに三本指をあてて‥‥‥」
 粋子は自分の手首に指をあてて示す。

「ンなもん俺に聞きゃァいいだろうがァ!」
「だって教えるって言われたんだもん」
「簡単に男に手ェ触らせやがって」
「触らせるって! 御剣の旦那にはそんな下心なんか全然ないよ。単に教えてくれただけだよ。脈の場所を教えてくれたの」
「まァ、あの人がそういうンだってェのはわかってるが」
「でしょ?」
「だからよォ。おめえだよ、おめえ! なんだかんだとダンナに気安すぎだろうが。あァ?」

「そりゃあ旦那って優しいしイケメンだし。へへ。手もすっとしててすごくきれいだったよ。へへへ」
「グウウゥッ! ま、まったくおめえってヤツはヌケヌケと‥‥‥!」
 夕神は、電撃をくらったときのように胸に手を置きハァハァしている。
「だって本当にかっこいいよ、御剣の旦那。ここに座ってるときも、周りの女の人がぽーっとなってて、私のほうが照れちゃった。へヘヘ。カノジョになる人は幸せだよねぇ」

「おお。そうかいそうかい。いいだろうよ」

「何が?」
「おめえさんは、これから御剣のダンナに面倒みてもらえ」
「はっ?」
「ダンナはおめえの言うとおり優しいしイケメンだし、検事としても俺より格段に上だ」
「何言ってんの」
「7年もムショ暮らしした俺みてェに、後ろ暗ェとこもねえ。俺ァ残念だが、おめえさんのためだ。そうしろ」
「そうしろって‥‥」
「今度キッチリ話つけてやらァ。あのダンナは、こういうコトに関しちゃァ押しに弱ェんだ」
「‥‥‥」
「まかしとけ」
 夕神はあごに手をやると、彼女を見つめてニヤリと笑う。
「なんでそんなこと言うの‥‥‥」

「‥‥‥っ! こら、粋子、こんなトコで泣くな」

 彼はあわてた表情であたりを見回しては、また彼女に目をやる。
「俺が泣かしてるみてェじゃねえか」
「泣かしてるよ」
「じょ、冗談に決まってンだろうが!」
「そんな冗談おもしろくない」
「グウッ。お。おめえさんがイケメンイケメン言ううえに、手ェまで触らせやがるからよォ」
「‥‥‥ぐす」
「がァッ‥‥! 本気でメソメソしてんじゃァねえ」

「‥‥‥」

「おおお、おめえさんのこたァ誰にも触らせたくねェんだ!」

 夕神の焦った声がだんだんと大きくなる。

「全部俺のモンにしてェんだよ!」

 最後にドン!と夕神はコブシでテーブルの真ん中を叩いた。法廷で机を叩くときよりはだいぶ小さい音だったが、あたりはしんとなり、遠くの席の人までもが目を向ける。

「‥‥‥恥ずかしいよ」
「すまねえ。つい」
「全部夕神さんのものだよ」
 粋子は夕神の節くれた大きいコブシに、そっと手をのせた。
「ほんとか?」
「嘘」
「コラ」
「へへへ」

「今夜も行くぞ。待ってろ」
 彼は粋子の手を、さらに自分の手で包む。男らしく長い指で包み込まれ、彼女の頬も心もほんのりと熱くなる。
「うん‥‥」
 何事かと二人に注目していた周囲の人々は、一様に呆れたようなげんなりした表情を浮かべ、目を背けた。カフェテリアにまたざわつきが戻る。

(おわり)


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