囚人検事・番外編

□二月
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二月


 夕神はその日の仕事帰り、両手にまったく似合わない華やかな紙袋を下げて粋子のところにやってきた。彼女も見習いでなくなり、住み込みの部屋を出ていいことになってはいるのだが、すっかり住み慣れてまだ大河原航空の2階に居座っている。
 
「すごい。夕神さん、モテモテ」

 粋子は彼の下げてきた紙袋を覗き込んで言った。中はほのかに甘い香りがして、色とりどりの小箱や小袋が入っている。
「ヘッ。こいつァ義理‥‥いや、祝儀チョコってェヤツだな。出所祝いだろ」
 彼は部屋に入ると、袋を脇に置いて、ちゃぶ台のまえにあぐらをかいた。

「そうなのかな。コーヒー入れますね」
 粋子は立ち上がって、台所に向かいながら小さくつけ加えた。
「私のは、義理じゃないですよ」
「ほう?」
 後ろから、からかう調子を含んだ低い声がするが、照れくさくて振り返れない。彼女が用意したのは、高菱百貨店で買ったチョコだ。まえに刑務所に差し入れしたときは受けとってすら貰えなかったが、今はこうやって一緒にいて、じかに渡すことができる。そんなことも不思議で、そして幸せだ。

 粋子がマグカップとチョコの包みをおぼんに乗せて戻ってみると、ちゃぶ台には青いリボンのかけられた箱が一つ置いてあった。夕神は小さいカードを手に取って、じっと見つめている。

「それは?」
 彼女は隣に座って聞く。男からはズズッと鼻をすすりあげる音がした。
「ええっ! 泣いてるの?」
 夕神は、片手で目のあたりを覆うと、無言で読んでいたカードを差し出してきた。粋子は、ちょっと迷ってからそれを受け取る。
 手のひらに収まるような小さい紙に、「迅くんへ」で始まる短いメッセージが書いてあった。

 『迅くんへ  迅くんのために、8年ぶりにチョコを作りました。ココネ』
 
 心臓がどきんとする。
「これ‥‥心音さんから‥‥?」粋子はつぶやくように言った。
「ああ‥‥今日裁判所で会ってなァ」
 彼はティッシュを取ると、プンと鼻をかんだ。
「迅くんって呼ばれてたんだ」
 複雑な気持ちで、なぜか胸がドキドキしてくる。
「アイツがガキの頃の呼び名さァ」

 彼は潤んだ目をしばたたかせると、大きい手に似合わないリボンをそっとほどき、黄色い包装紙をていねいに開く。
「思い出すぜ。ちっちぇココネがよォ、バレンタインのたびに一生懸命手作りしたやつくれてなァ、それがまあマズイのなンのって」

 箱を開くと、ハート型のチョコがきれいに並んでいる。彼はその一つをつまんだ。

「あれから8年経ってアイツも、ちったァまともなモン作れるように‥‥‥ブホッ‥‥ゲホッ‥‥ま、マジイ‥‥」

 夕神はおぼんの上のカップをつかむと、熱いコーヒーをひとくちゴクンと飲み込む。さらに、「それ貸せ」と、粋子が買ってきたチョコの箱に手を伸ばした。包装紙をベリベリと破いて、急いで一粒を口に入れる。
「うめェ」
 彼は満足げに言ってから、ふうと息をついた。
「ココネも走ってばっかいねェで、コッチもなんとかしねェとなァ。男ができたところで、胃袋つかむつもりが握りつぶしちまうぜ」

「夕神さん。いいの‥‥?」
「ン? なにがだ」
「心音さんに彼氏ができても」
 きょとんとした表情を浮かべる夕神を、粋子はじいっと見た。
「心音さんが、誰かとデートするようになっても、いいの?」
「いいのって、そりゃァ、アイツだってデートの1つや2つしてもいい年頃だろうぜ」
「バンドーランドみたいな遊園地ならまだしも、もっとその‥‥」

「おおっと、危ねェ!」
 夕神は、あらぬ方向を見て大きな声を出した。
「どっ、どうしたの!?」
「バンドーランドで思い出したのさァ。また忘れちまうトコだったぜ。危ねェ危ねェ」



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