囚人検事・番外編

□二月
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「おい、粋子?」
 夕神はすぐに追い付いて、横から覗き込んだ。
「なんでおめえが泣いてンだ?」
「夕神さんが心音さんのために泣くなら」
「ん?」
「私は自分のために泣く」
「ヘッ。そりゃァどういうこった」
「しらない」
 なかば小走りで、また夕神より先に進む。無言で事務所の前まで歩き続け、ドアノブに手をかけようとしたとき、不意に後ろから抱きしめられた。
 
「なァ粋子」

 夕神は、彼女の体を胸の中にすっぽり包み込む。そして彼女の頭のてっぺんに軽くあごを乗せた。
「俺ァ、女ゴコロってェのはよくわかンねェがよ」
 そう言って、腕に力を込める。抱かれた背中が、しみるように温かい。
「おめえさんの気持ちだけはわかっておきてェ」
「‥‥‥」
「思ってるコトがあるンなら、ハッキリ言いな」

「じゃあ‥‥じゃあ、言うよ?」

「お、おう」
 ゴクリ、と夕神の喉が鳴る。
「お姫様‥‥なんだよね?」
「は?」
 彼女は、すこし緩んだ男の腕を抜けて、体ごと後ろを振り向いた。ドアに背をつけるようにして、自分を見下ろす男の瞳を見上げる。

「夕神さんにとって心音さんはお姫様なんでしょ?」
「ヘッ。んなもン、姉貴が勝手にほざいてるこったろ。俺がココネの忠臣だのなンだのと‥‥‥」
「心音さんがお姫様なら、私はなんですか?」
 しかと、彼の瞳を見つめる。薄闇が広がる中、吹きさらしの場所で話すことじゃないかもしれないが、今を逃すと二度と聞けない気がした。
「だから姉貴が勝手に‥‥」
「なんですかっ!!」

「お、おめえか?」
 夕神はたじたじと言った。
「はい」
「そうさなァ」
 彼はあごに手をやり、もう片手でその肘を支える。
「ココネがお姫様で俺が忠臣なら、おめえさんはさしずめ‥‥‥」

 ゴクリ。今度は粋子が生唾を飲み込む。

「忠臣の御新造様かねェ」
「ごしんぞう、さま?」
「ああ」
 彼は、ふっと柔らかい表情を浮かべ、粋子の顔を両手で挟んだ。温かい両の親指で、彼女の冷えた頬に残る涙をぬぐう。
「なんですかそれ?」
「‥‥聞くな」
「ごしんぞうさまって?」
「御新造様は御新造様だ」
「だからなに?」
「ハッハッハッ」

 夕神は大きく笑うと、彼女の肩を片手で抱くようにしながら、事務所の玄関ドアを開けた。粋子は、中に入った彼のあとをついて行く。
「笑ってないで教えて!」
「ああ、腹減ったなァ。今日は旨いモン食おうぜ」
 彼は、奥の階段をとんとんと先にあがっていく。
「ねえ! 夕神さん!」

 粋子は、胸のつかえを吐き出せて、それを彼がちゃんと聞いてくれたことで、ひとまず満たされたような気持ちになっていた。彼を追って階段をのぼりながら、心の中で繰り返してみる。
 ―――ごしんぞうさま。
 その意味が、どうか、悲しくなるようなものじゃありませんように。

(おわり)


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