虹の検事局・前編

□第9話(3P)
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 頭に血が上って、クラクラしてきた仁菜は、会議室を出るとトイレに飛び込み、冷たい水で顔を洗った。ざぶざぶ音を立ててひとしきり洗って、顔を上げると、鏡の中に、驚いた表情を浮かべてこちらを見ている、あの美人事務職員がいた。

「御剣検事って、ほんと最ッ低ですよ!!」 仁菜は、この人なら気持ちを共有できそうな気がして、乱暴に顔を拭きながら言った。 最ッ低のところに力をこめて。

 事務職員は、あいまいな表情で首をかしげて微笑む。
「あの人は、人の気持ちなんてまったくわからないんです! そう思いませんか?」
 興奮しながら仁菜が言う。

「夜芽さんたちが羨ましいです」
「えっ?」

「新任検事のみなさんは、そうやって熱く、御剣検事とぶつかって‥‥‥でも私たちは、御剣検事にとって何者でもありません。ただの道ばたの石ころと同じです」
「石ころだなんて‥‥‥花ですよ。検事局一きれいな花」
 仁菜のとんちんかんなフォローに、彼女は悲しげに微笑んで、出ていった。

(道ばたの石か‥‥‥)仁菜は思った。(私だって石ころと同じだ。この研修が終われば、ただの同僚。局内で会っても軽く会釈する程度の関係になるだけだ。例外はただ一人‥‥‥)
 仁菜は頭を振って、もう一度顔を洗った。

 * * * *

 御剣は、いたずらに感情的になる人間が苦手だった。ロジックが通じなくなる。とくに女性の場合はお手上げだ。どう扱っていいか、全くわからない。
 天杉も帰ったあと、彼はティーカップを手に執務室の窓際に立った。
(それにしても、いつも人を傷つけるとは、ひどい言われようだな‥‥‥)

 確かにこの人生で、思い当たることがなくはない。しかしいくらなんでも、いつも、ということはないだろう。
 窓の下を見下ろすと、‥‥‥‥前庭にはひと気がなかった。

(今日は転ばずに帰れただろうか‥‥‥)
 彼は、かつての光景を思い出して、思わずフッと笑みを漏らす。
 彼女はあんなに一生懸命、一体何が言いたかったのか。御剣は、今ならちゃんと聞いてやれそうな気がした。だが、今日は、電話する言い訳を思いつかなかった。

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