剣と虹とペン

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 御剣はいろいろ話しかけているようだが、オレンジジャケットの男は会話より茶髪の立ち具合をしきりと気にしている。湖面からの冷たい風に耐えながらしばらく見ていると、茶髪男の大声がその風に乗って聞こえてきた。

「オマエがそんなにシンパイしたってしょうがねぇだろ!!」

 ずいぶん親しい間柄のようなその口調に奈理は少し驚く。御剣の言い返す声は低くて全然聞き取れない。

「もうあきらめろって!」
 そう叫ぶように言って、男は御剣の肩を勢いよくバンと叩いた。とのさまんじゅうを口にしていたのか、御剣がむせて咳き込む。

(プッ)
 背中を丸めてゲホゲホ言う姿に、双眼鏡ごしに見ていた奈理は小さく吹き出した。男もその様子に大口を開けて笑うと、客が来た屋台の方へ小走りで向かう。そこからまた大声で御剣に呼び掛けた。

「アイツが来たら電話してやるよ」

(アイツ‥‥‥?)
 誰の事だろう。御剣は何の心配をしてるんだろうか。女か‥‥‥? 
 彼女はボイスレコーダーに男の発した言葉と、自分の疑問を録音した。


 ◇ ◇ ◇


 奈理は帰宅すると、数日ぶりに編集長から渡された御剣の資料を手に取った。
 読んでないのは赤丸のついた2016年から先。気分を上げるためガリューウエーブのCDをかけ、ベッドにごろんと横になって読み始める。

 ―――今から3年前、2016年の暮れ、真夜中のひょうたん湖で1つの殺人事件が起きる。被害者はある弁護士。
 奈理は今日偶然見たひょうたん湖の真っ暗な湖面を想像してかすかに寒気を覚える。
 そして事件の容疑者として逮捕されたのが‥‥‥‥‥御剣怜侍。

(あれって御剣だったんだ‥‥‥!)

 その殺人事件の報道は覚えていた。それが今はじめて御剣と結びついた。
 逮捕されたときの写真がある。
 記者にもみくちゃにされている御剣は無表情で、その目は何も映していないように見える。エリート検事から突然殺人の容疑者への転落。資料にファイルされた大量の切り抜きと序審裁判の記録を、彼女はベッドの上に起き上がって読み始めた。

 裁判では成歩堂龍一という新米弁護士が新星のように現れて、冤罪から御剣を救う。

 法廷に立つ成歩堂の写真もある。あざやかな青のスーツに赤いネクタイ、後頭部がギザギザになった特徴的な髪に精悍な顔つき。編集長のメモによるとこの弁護士は御剣の小学校時代からの幼馴染で、親友らしい。成歩堂もまたその友と同じく、これ以降無敗の経歴を重ねていく。

 しかし、ひょうたん湖殺人事件裁判の記録はそれだけで終わっていなかった。 
 この裁判で成歩堂が明らかにしたのは、その15年前、2001年に起きたDL6号事件の真相―――。

 奈理は、流れていた音楽を止めた。

 当時9歳だった御剣は、父親を射殺されたその惨劇、DL6号事件の現場に居合わせていた。突然の地震で密室と化したエレベーターに、父親とともに閉じ込められて。
 何も知りようがなかった少年がその後に引き受けざるを得なかった数奇な運命。長い年月が過ぎてやっと知らされた悪夢の延長のような真実‥‥‥。

 DL6号事件後まもなく撮影された、9歳の御剣の写真がある。運ばれた病院から退院するときだろうか、看護師らしい女性に肩を抱かれた後ろ姿。ツイードの半ズボンからハイソックスの細い足が伸びている。父親を失ったばかりの少年はそれでも健気に背筋を伸ばし頭を上げていた。

「はあ〜っ」

 2016年の資料を読み終えた奈理は深くため息をついた。またごろんと横になって天井を見上げる。彼女は、DL6号事件の終幕については何も知らなかった。
 編集長が御剣の事を「禍々しい男」と言った意味がようやくわかった気がした。

 ‥‥‥こんな経験しちゃったんだったら、性格が悪くなってもしょうがないのかな。あんなふうにイヤな奴になってしまっても‥‥‥。

 御剣の瞳を思い出して彼女はなぜか少し胸が苦しくなった。



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