剣と虹とペン

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 数日ぶりに御剣が出勤した朝、奈理は意を決して1202号室に向かう。窓際の棚にそっとポットを置いたあと、執務机につく彼を黒革のチェアの後ろからじっと見つめた。

 窓からの明るい光を受けた赤いジャケットの広い肩。上質そうな生地には、いつも糸クズひとつついていない。襟元からのぞくシャツだかヒラヒラだかわからない部分も常に真っ白だ。資料で読んだ狩魔の教え「カンペキをもってよしとする」は、こういうところにも生きているのだろうか。

 奈理はその背を見つめながらそろそろと手を伸ばす。
(何気ない‥‥‥‥‥)

「うわっ」
 異常な気配に気づいた御剣がくるりと振り返った。「なななにをするッ!」 
「肩、お揉みしましょうか?」
「はあ?」
「肩、こってませんか。出張でお疲れではと‥‥‥」
「こってなどいない!!」
 御剣はきっぱりと言って、また背を向けた。

(だめか‥‥)
 奈理はすごすごと引き下がった。糸鋸刑事に揉ませてるのを時々見かけるからもしかしたらいけるかと思ったんだけど。ボディタッチはやっぱり難しいな‥‥。


 それからまた数日間、奈理は次のチャンスをうかがっていた。今度のメソッドは“カレに困りごとを相談しましょう”。
 御剣に相談したいことなんて正直何もないが、参考図書には相手がその知識に自信を持つテーマがいいとある。となると法律のことか‥‥? 

 ある時、御剣が一人でカフェテリアのテーブルについていた。片手に新聞を持って、トレーには紅茶らしきカップがある。

 周囲の女性達が彼を認めてさざめいているがまったく気にする様子はない。
 御剣は検事局のどこにいてもこんなふうに女性達から遠巻きに注目されているが、積極的に近づいて来る人はまずいない。たぶんいつも眉間にシワを寄せて無愛想な顔をしてるからだ。執務室に出入りする女性もごくごく限られている。今まで見たのは狩魔冥と、糸鋸刑事と一緒にやってくる一条美雲。あと執務室の入口あたりでいつも御剣が「そのようなアレは困る」とか言って押し問答になっている年配の女の人。先輩によると名前はたしか大場さん。それぐらいだ。

 しかし奈理は、迷わず近づきその正面にちょこんと座って声をかけた。
「御剣検事」
 彼は一瞬ひどく驚いた表情を浮かべた。
 同じフロアの事務職員とはいえ、奈理にいきなり目の前に座られて面食らっているようだ。
 
「なんだね」
 御剣は英字の新聞を手に持ったまま彼女を見た。この人は、あまり人の顔を見ないが見るとなったらまっすぐ見る。射抜かれるような鋭い瞳で。さすがに彼女もこうやって真正面に座るのは初めてなので徐々に緊張してくる。なにしろその瞳が、まったくぶれずに彼女の瞳を見つめてくるのだ。

「そ、相談事があるんです」
 忙しい男性には単刀直入がいいらしい。
「う‥‥ム。どんなことだろうか」御剣はとりあえず新聞をテーブルに置いてくれた。

「法律のことで、困ってることがありまして‥‥」
「法律?」
「はい」
「個人的なことかね」
「そうです!」
「ならば弁護士を雇いたまえ」
 彼は静かにそう言い新聞をたたみ始めた。
「あ‥‥‥はい」
 あまりに早い結論に奈理は二の句が継げない。

「キミ、食事は?」
「えっ! これからです」
「そうか、私はもう終わった」そう言って彼は立ち上がろうとする。

「御剣検事!」奈理はもう一度呼びかけた。



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