剣と虹とペン

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「オイ、御剣! そんなカオすんなよ。女の子がいるってのにうすらさみィキモチになるじゃねえか」
 矢張はそう言ってグラスのワインを飲み干した。「そうだオマエ先にフロ行って来いよ。いつも帰ったらパジャマに着がえるだろ。ホラ、あのピン‥‥‥」
「ゴホンッ」御剣は激しく咳払いをした。「一人だけパジャマになれるかバカものッ! 私は成歩堂が来るまで仕事をさせてもらう!」
 御剣はそう宣言して、奈理には目もくれずリビングを横切り、グランドピアノの先にある部屋に入るとバタンとドアを閉めた。

 ふたりの会話を固くなって見守っていた奈理は、御剣がとりあえずいなくなったので、ほっと息を吐いた。でもさすがに友達と話すときの御剣の姿は、いつもの執務室での印象とちょっと違う。怖いは怖いけど仕事の時ほどじゃない。
 

 矢張が御剣を確実に呼び出せる方法と言ったのは、成歩堂の名前を出すことだった。その後も上機嫌でワインを飲み続ける矢張にしばらく付き合ったあと、奈理はそっと聞いた。
「それで‥‥‥成歩堂さんって何時ごろ来るんですか?」
「来ない」 
「は???」
「アイツら今フクザツなんだよな」

 御剣は成歩堂と話をしたがっているが、あっちはそうではないらしい。そういえば、ひょうたん湖でもそんな様子だったと奈理は思い出す。
 だから今日も本当は、成歩堂には声をかけていないと矢張は言った。

「じ、じゃあ、どうしたら‥‥‥。御剣検事、あそこから出てこないんじゃないでしょうか?」
 奈理は心をとざすかのようにずっと閉まったままのドアを見た。
「ホラ、酔ったフリして」矢張がひそひそ声で言う。
「えっ?」

 そして今度は大きな声を出した。
「奈理ちゃんスゲー酔っちまったなァ。ちょっと休むといいよ」
「は?」
 彼女がきょとんとしていると、矢張は立ち上がって手招きする。不審に思いながらついていくと、リビングを出て廊下に並ぶドアの前に立った。
「このドアが御剣がいつも寝てるとこ」そして反対側のドアを示して言う。「コッチにもういっこ寝るとこあるケド、御剣の部屋のほうがいいな。うん」
「えええ?」

 矢張は奈理の戸惑いをまったく意に介さず、寝室のドアを広く開けた。
 寝室もまたゆったりとした部屋だった。ホテルのようにベッドメイキングされた大きいベッドと、その足元には壁一面のクローゼット。

「今日はココに泊まっちまいな。御剣はカタブツだからキセイジジツ作っちまえばセキニン取ってくれるって。うん」
「き、既成事実?? いやいやいや、そこまでは‥‥‥」奈理は焦って抵抗する。
「だいじょーぶだいじょーぶ。アイツは無理やりどうこうするようなオトコじゃねえし、奈理ちゃんのペースでいいから」
「いやだからそれはですね‥‥‥」
「いいから早くベッドに入んなよ。アイツがこの会話聞いたらマズイだろ」

 ホラホラと急かされて、彼女はどうしていいかわからなくなり、ついにベッドに入った。ひんやりしたシーツの間におそるおそる体を滑り込ませる。
 矢張はニカッと笑って親指を立てると、部屋の明かりを消してドアを閉めた。ドキドキしてじっとしていると、御剣と矢張が言い合いをしているのがドアの外から聞こえてきた。

「連れて帰れ!」
 御剣の怒鳴り声が聞こえる‥‥‥や、やっぱり怖い‥‥‥。奈理はそっとベッドを出てドアの近くで聞き耳を立てる。
「これからダイジな約束があるんだからムリだって。それによォ、酔いつぶれたコを連れて帰れるわけねえだろ。オマエつめてえな」矢張は大げさに嘆くような口調で言った。
「矢張。キサマという奴は‥‥‥」後半はぶつぶつ言っていてよく聞こえない。
「成歩堂にはオレからよく言っとくからさ。アイツもイロイロ大変なんだろ」

 そして足音がバタバタと廊下を通り過ぎて行き、玄関ドアが閉まる音がする。矢張が帰ったようだ。
 もしかしたらすぐにでも御剣が怒鳴り込んで来て、つまみ出されるかもしれない。奈理は急いでベッドに戻ると布団をかぶってビクビクしていたが、そのあとは物音ひとつ聞こえてこなかった。

(とんでもないことになってしまった‥‥‥)
 こうやって一晩一緒に明かしたところで何か起きるとは思えないし、既成事実なんて作れるわけない。でも、ここまでやればこの任務からも解放されるだろう。なにしろ御剣のベッドに入るところまで来たんだから。‥‥‥ひとりでだけど。

 彼女はしばらく落ち着かず暗闇でじっと目を開けていたが、ベッドは心地良く、シーツなのか部屋全体なのかいい匂いがして、いつのまにかうとうとしていた。



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