剣と虹とペン

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 奈理は裁判所までの道すがら編集長に電話した。
「いくらなんでもあんな記事が載ったら、潜入がバレるじゃないですか!」
「バレたか?」編集長は平然と聞き返してくる。
「バレてませんけど‥‥」
「だろ? まあまかせておけ」
「‥‥‥」

「御剣の久々のゴシップだから、あの程度でもなかなかの反響だぞ」
「あれじゃヤラセ記事ですよ。事実無根だし‥‥‥御剣は放埓とか全然違いますから」
「今日はやけにあの男のカタを持つじゃないか」
「そんなことないです!」奈理は思わず大きな声を出し、それに焦って今度は声を落とした。「と、とにかくバレる前に潜入は終了にしてください」
「まだまだバレやしないさ。あの男は仕事以外では相当にニブいという噂だからな」
「えっ。そうなんですか?」
「この計画は本社からも注目されているし、スクープも取れずハイ終わりというわけにはいかないんだよ」

 結局、編集長のペースで話が終わってしまった。
 奈理はすっきりしないまま、裁判所に向かって歩き続けた。大通りに面した正面玄関までは距離があるので、裁判所の裏口から入って駐車場を通り抜けることにした。
 駐車場はひと気がなく落ち葉がカサカサと風に舞っている。ふと後ろからバイクの音が聞こえてきて、彼女は無意識に脇によけた。バイクは奈理のすれすれまで近づいて通り過ぎる。その瞬間、彼女が片手に抱えていた茶封筒がものすごい速さと勢いで奪い取られた。

 彼女はその衝撃で前のめりに転んでしまう。
(‥‥‥???)
 一瞬、何が起きたのか理解できなかった。地面に両手をついたまま頭を上げるとフルフェイスのヘルメットを被った男のバイクが、Uターンして隣の通路を走り去って行くところだった。

 茫然とする彼女に、近くの車から降りてきた男女が駆けよって110番をしてくれた。女性に手を貸されて立ち上がっても奈理は無言で頭を下げるのが精いっぱいだった。

 突然、御剣から大事な書類だと言われたことを思い出す。

(や、やばい!!)

 携帯電話を取り出して検事局の電話番号を押す。が、ショックときっとひどく怒られるという恐怖が相まって手が震えてしまい何度も失敗する。やっと御剣の執務室に繋がると、彼女は応答を待たずに話し出した。
「み、み、御剣検事ですか? 次野です!」
「‥‥どちら様だろうか」
「事務職員の次野です。さっき書類を頼まれた‥‥‥」
「ああキミか」

「い、いま、今、裁判所の駐車場でひったくりにあってしまって‥‥‥」彼女はそう言いながら声も震えてくる。
「なにッ? 大丈夫か!?」
「そ、それが‥‥‥あの‥‥大丈夫じゃなくて‥‥」
「なんだと!?」御剣は緊迫した声で言う。
「書類を取られてしまいました。‥‥‥申し訳ありません!!」
 奈理は必死に言い、怒鳴り声を予想して首をすくめた。

「書類ではない! キミだ。キミは大丈夫なのか?」
「はっ‥‥‥?」
「怪我などは、していないだろうか?」
「わ、私は、大丈夫です」
「そうか。‥‥‥であればよかった」御剣がほっとしたような声を出した。「ひったくり被害者はひどく怪我をすることがあるからな」
「‥‥‥‥‥‥」
「警察は呼んだかね?」
「近くの人が110番してくれました‥‥‥」
「念のためイトノコギリ刑事にも声をかけておこう。裁判所の駐車場だな?」
「はい‥‥‥」
 怒られるとばかり思っていた彼女は、御剣の態度に戸惑って、お礼を言うことも忘れて電話を切った。


 それからしばらく後、駆けつけて来た警官に事情聴取を受けていると、古ぼけたパトカーが駐車場に入ってきた。いきなり刑事が現れ、警官が驚いて敬礼する。

「アンタ、大丈夫ッスか」
 糸鋸はカーキ色のコートを翻しながら大股で奈理に近づいてきた。「裁判所周辺はひったくりが多いッス。ぼーっと歩いてちゃダメッスよ」
 糸鋸によると裁判関係の書類が、審理を有利にするため犯罪組織に狙われる事件が増えているらしい。そこらへんのバッグより何倍も狙われやすいッス、と彼は言った。そういえばそんな注意を先輩から受けていたような気がするが、すっかり忘れていた。

 その後、糸鋸も立ち会って現場検証が行われ、すべての手続きが終わったのはだいぶ時間が経ってからだった。検事局に戻るころには、あたりは暗くなっていて12階に上がってみるとさすがに先輩も退勤していた。
 奈理は報告のために1202号室をノックする。



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