剣と虹とペン
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「キサマ、いい加減なコトを‥‥‥」
「そう思うなら好きなだけ調べてくれ。昨日付でアイツの退職手続きは済んでいる。残務があるだの挨拶に行きたいだの頼み込まれて、今日行くのを許したのが間違いだったな。原稿は出さないくせに、ヘンなところで律儀なヤツだ」
デスクの男は苦笑いを浮かべた。「それにしても最後の最後までこんなヘマを。父親は有能な新聞記者だったから期待していたんだがな」
「父親も‥‥記者?」はっとして御剣は聞き返した。
「ああ。司法記者だった。もっとも取材中の事故でずいぶん前に亡くなっているが」
編集長は少しだけ、顔をゆがめる。
「‥‥‥‥‥」
御剣は、デスクの前で男を睨みつけたまま長い間沈黙した。
僅かに肩だけが上下する。その背中に、静まり返った室内の目が集まる。彼はやっと口を開いた。
「彼女の‥‥連絡先は」
「さあ。あんたに言う義務もない」
「従業員に触法すれすれの労働を要求し、それに従わなかったからといって解雇するのは法規違反だとわかっているだろうなッ!」
御剣は毅然と言い切ると同時に、相手の目前に人差し指を突きつけた。「社会法は専門外だが私は法律家だ。キサマの出方次第ではどんな形にせよ必ず立件してやる!」
「け、携帯は会社貸与のしか持ってなかったが、それは昨日返却させた」
編集長はうろたえながら、固定電話ももうつながらないこと、実家の連絡先はわからないことも付け加えた。
「現住所ぐらいわかるだろう!」
「い、家も社宅だったから今日中に明け渡すように言ってある」
「昨日クビにしておいて、今日中にだと!?」
「本社命令なんだよ! あんたこそなぜそんなことを聞く? 彼女はあんたの言うように、会社の要求で動いただけだ。今さら追及してどうするつもりだ」
御剣はそれには応えず、くるりと後ろを振り返った。
「社内で親しかったのは?」
編集室内に御剣の声が響き、皆が申し合わせたように一斉に目を伏せる中で、ひとりだけが顔を上げていた。最初に彼に声をかけた女性だ。
御剣は彼女の席まで歩いていった。
「なにか知っているのか」
「いえ‥‥‥」その女性は不安げな様子で首を振る。
「私は彼女と話がしたいだけだ。追及するつもりはない。何か知っていたら教えてもらえないだろうか」
御剣は静かな声で言った。
女性は、近くまで来て自分を見下ろす、その端正な顔立ちの男をじっと見た。堂々とした態度に似合わない意外な若さ。その薄茶色の瞳は澄んでいて、そしてなぜか少し哀しげだった。
「これ‥‥‥」
女性は引き出しをあけ、小さな写真立てを取り出した。
「昨日これが見つからなくて、彼女、とても寂しそうでした。さっき机の裏に落ちてるのを見つけて‥‥」
そう言いながら、女性は主のいなくなった隣のデスクに視線を向けた。
「それは?」
「両親と一緒に撮った最後の写真だと言ってました。もし彼女の居場所がわかったら渡したいんです。もし、わかったら‥‥‥」
「私が預かろう。いいだろうか」
女性はもう一度、男の瞳をみつめた。長い前髪が影を落としたその瞳にあるのは真摯な光。彼女はうなずいた。
御剣は何かあればと名刺を渡し、彼女からは社宅の住所と、かろうじて連絡がつく可能性のあるPCのメールアドレスを書いたメモを受け取った。
◇ ◇ ◇
御剣は教えられた住所に車を飛ばした。
法律速報の社宅は灰色の殺風景なマンションだった。おもには本社社員の住居になっているようで戸数だけは多い。