囚人検事と見習い操縦士
□九
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「でも、もう夕神さんのこと怖くないから」
男は一瞬絶句したあと、口の端で笑った。
「‥‥‥ヘッ。上等じゃねェか」
次の瞬間、粋子ははっとして、出て行こうとしている男を呼び止める。
「待って! ヘリの音がしませんか!?」
「へえ。そうかね。俺には風の音しか聞こえねェがな」
夕神は天井を見上げた。
「間違いなくヘリのエンジン音です!」
粋子はそう断言すると、ダッと部屋を出た。廊下を全力で走り、玄関から外に飛び出す。空を仰ぐとパタパタパタというプロペラの音もはっきり聞こえてきた。雲の間に黒い影が見え隠れしている。
「おーーーーーーーいッ!!」
大声を張り上げる。しかし、音は徐々に遠ざかり、影は小さくなって白い雲に紛れていく。少しでも空に近づきたくて、彼女は両手を振って必死に飛び跳ねた。
「ここだよおぉぉーーーーーーッ!」
機体の影がついに見えなくなり、かすかに響いていたエンジン音もやがて聞こえなくなった。
「ここにいるのに‥‥‥」
粋子は息を切らし、膝をついてへたり込んだ。今度はヘリの姿がちゃんと見えていただけに、最初のときよりがっかりだ。
「ヘリは近づけねェ。そう言っただろうが」
いつの間にか近くに来ていた夕神が、彼女の前に立って声をかけた。
「はい‥‥‥」
首を垂れる彼女の近くで、バサリと羽音がする。
「あれっ!?」
粋子はびっくりして、夕神を見上げた。
「見てください!」
彼女はニンマリと笑みを浮かべる。「ギンが私の肩に乗ってくれましたよ! いつも頭の上だったのに」
相棒の肩より頼りなくて足場も安定しないようだが、ギンは間違いなく粋子の肩にとまっていた。重くて爪がちょっと痛い。
「ぐ‥‥‥ッ!!」
その様子を確認した夕神が目を剥いた。予想した以上に衝撃を受けている。
「夕神さんが相棒なら、私のことは仲間って認めてくれたのかな? えへへ」
「なっ‥‥ナマイキ言ってんじゃねェ! ギン。こっちに来い」
夕神は彼女のそばに腰を落とすと、止まり木さながらにギンの前に前腕を差し出す。
「ギン。なぐさめてくれてるの? 優しいね」
夕神を視界からさえぎって粋子が首元を撫でると、ギンは気持ちよさそうに丸い目を閉じた。
「チィッ。ギンめ‥‥。小娘にまんまと手なづけられやがって」
「夕神さんが相棒なら私は‥‥」
「おいこら初の字。しょうもねえヨタ話を言い聞かせてンじゃねェぞ!」
夕神が指笛を吹こうとするのを、粋子は声を上げて止めた。
「だめ! 今、仲間の契りを交わしてるんですから」
「クッ。ワケのわからんことを」
夕神は、今度はもう笑いながら、彼女ごと捕まえでもするように、手を伸ばしてくる。粋子も笑って、それから逃れようと体を逸らした。足場を失った鳥が翼を振って空へと飛び立つ。彼女はその反動で仰向けに体勢を崩した。
「ひえっ!」
「おい!」
夕神は彼女の体を支えようとするが、一歩間に合わず、粋子はゴロンと地面にひっくり返った。ギンの羽音が遠ざかっていく。