囚人検事・番外編
□十二月
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粋子は不思議なほど穏やかな気持ちで、事務所に帰りついた。2階にある自室で、普段の夜と同じように寝る支度を整える。廃墟で過ごした日々の思い出は、大事なものを入れている引き出しにしまいこんだ。囚人検事が即日釈放され、その姉が逮捕されたというニュースを見てから、テレビも、部屋の明りも消した。
もう夕神と会うことはないだろう。
鎖から解放されて、彼は本当の居場所に戻ることができる。
守り続けた大切な人のそばに。
奥の部屋に敷いた布団に入ると、ここしばらくにない静かな気持ちで目を閉じる。
あの人は生きている。これから先も、生き続ける。「その日」に怯えることなく。
それだけで十分な気がした。
ピンポーン‥‥‥。
ピンポーンピンポーンピンポーン。
せわしないチャイムの音に、粋子は暗闇のなか目を開ける。
時計を見ると、夜の11時。
(こんな時間に、誰?)
起き上がってカーテンをそっと開け、窓の下をのぞく。事務所の玄関ポーチに、長身の人影があった。黒い服の裾が、風に広がっている。
(!!!)
粋子は上着をはおって、急いで階段を下りる。事務所に住み込みだという話はしたことがあるが、でも、なぜ‥‥‥。
ドアを開けると、夕神は彼女のようすを一瞥した。
「もう寝てたのか? 早ェな」
「夕神さん‥‥」
「入らせてもらうぜ」
返事も待たず、彼はずかずかと中に入ってきて、薄暗い事務所のソファにどっかと腰を落とした。手にしていた白い袋を、横に放り投げる。
「な、何しに来たんですか?」
「ヘッ。何しにたァ、随分なごアイサツじゃねェか。ギンみてェに目ェまん丸くしやがって」
「いや、その‥‥。こ、こんなとこにいて、いいんですか?」
胸の前で組んだ腕に、もう手錠はない。
「脱獄してきたわけじゃァねェぜ」
「し、知ってますよ。テレビもずっと、そればっかりです」
一機、ジェット機が上空を通り過ぎた。夜間だから本数は減っているが、もうしばらくこの調子だ。夕神は轟音に震える天井を見上げる。
「相変わらず、すげェ騒音だなァ」
ここを覚えているのだろうか。初めて来た日のことを。粋子はふと胸が詰まり、「長い間、お疲れさまでした」と、頭を下げた。
「それを言うなら、おつとめご苦労さまでした、だろ?」
夕神は、彼女と目を合わせてニヤリと笑う。「で、ここは茶も出ねェのかい?」
「あっ、今。日本茶でいいですか?」
粋子は事務所の明りを全部つけ、流しに向かう。さっきからひどくドキドキしていて、茶を用意する手が震えてしまう。
「‥‥‥かぐやさんは、大丈夫ですか」
「さっき留置所で会ってきたが、えらくスッキリした顔してやがったぜ」
「すぐ釈放されますよね?」
「俺のせいで犯罪者にまでしちまったンだ。手を尽くすつもりさ」
きっぱりと言う夕神に、彼女は振り返ってうなずいた。
「ギンちゃんは‥‥?」
「法廷で寝てらァ」
また頭上に轟音がして遠ざかる。湯が沸く音とエアコンの音だけになったとき、粋子は背中を向けたまま、小さく深呼吸した。
「こ、心音さんは‥‥‥?」
「ココネ?」
「被告人に‥‥なったんですよね」
「ああ。裁判のあと一緒にラーメン食ってきたが、なんてこたァなさそうだったなァ」
「だったら、よかった‥‥」