囚人検事・番外編

□二月
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 夕神は、長い腕を伸ばして棚の上の卓上カレンダーを取り、15日、土曜日のところを指でトンとたたく。
「明日、ココネに頼まれてたコトがあってよォ」
「へえ」
「荒船水族館に一緒に行ってくれだとよ」
「水族館‥‥?」
 そこは、いつか夕神と一緒に行きたいと思っていた場所だ。鳥好きの彼が喜びそうな、かわいいペンギンもいるし、賢いシャチのショーもある。

「俺がムショに入る前に約束してたみてェなんだが、こちとらてンで記憶になくてよォ。えれェ怒られちまったぜ。クククッ」

 その話をしている時の、二人の楽しそうな様子が目に浮かぶ。長い歳月の重みと、決して立ち入ることのできない二人の関係。寂しさが胸に迫ってくる。粋子はうつむいて、夕神が破いてクシャクシャになったチョコの包装紙をそっとゴミ箱に入れた。テーブルにはもう一枚、ていねいに開かれた黄色の包装紙がある。

 ―――お姫様。

 彼の姉が、心音をそう呼んだことを突然思い出す。夕神にとって心音は、今も昔もずっと、大切なお姫様なんだ。

「おめえも行くか? 水族館」
 あっさりとした声がして、粋子は顔を上げる。
「えっ!?」
「ココネとも知らねェ仲じゃァねえし」
「い、一緒になんか行けないよ! そんな大事な約束」
「大事な約束かァ?」
「そうだよ‥‥。心音さん、何年もずっと覚えてた約束なんだから、絶対二人で行ったほうがいいよ」
「そういうモンかねェ」
 彼は百貨店のチョコを、また一粒口に投げ入れる。

「そういうもんだよ。夕神さん、女心わからなすぎ。心理学やってるのに」
「グッ。し、心理学やってたって女ゴコロなんざァ、わかりゃァしねェよ」
「え。そうなの?」
「こいつァうめェな」
 彼は、また満足げな笑みを浮かべる。チョコがおいしいのではなくて、心音との約束が楽しみなんじゃないだろうか。粋子は夕神の笑顔を見て、そんな風に思ってしまう気持ちをどうしようもなかった。


 ◎ ◎ ◎


 翌日は、デート日和の快晴だった。
 夕神は、お昼も心音と食べる予定なのだろう、午前中のうちに出かけて行った。粋子とはそのあとのことは約束もせず、お互いにどうするとも言い出さなかった。

 悶々と落ち着かない気持ちを抱え、一人で簡単な昼食をとると、粋子は休日の事務所に下りて行って、急ぎでもない書類整理をした。さらにはセスナをていねいに洗機したが、それでもまだ時間が余った。冷たい水に触れても、体は興奮とも不安ともつかぬ思いで、カッカと熱いままだ。

 少しでも気を抜くと、水族館の二人の姿が脳裏にはっきりと浮かんでくる。シャチのショーを見て笑っているところや、青い水槽を眺めながら並んで歩いているところ。もしかしたら、昔を思い出して、手をつないで‥‥‥。
 粋子はブンブンと頭を振った。彼は、上司にも紹介してくれたんだし、自分が想像しているようなことが起きるはずはない。

(でも‥‥‥)

 暗雲のような妄想は、またすぐ心に広がってくる。
 あんなにお互いを思い合っていた二人が、長い年月を経て念願のデートをして、心を動かされないってことがあるだろうか? 夕神は、心音への気持ちを自覚して、私とこうなったことを後悔するのではないだろうか。間違いだったと気づくのでは‥‥‥?
 頭の中で、大好きな彼の手と、心音のきれいな手がからまる。

「うあああああああっ」

 格納庫の中、周りに誰もいないことをいいことに、粋子は声をあげて襲ってくるイメージを必死に振り払った。



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