囚人検事・番外編

□三月
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「他の女にゃァ、見せたくねェだろ」
「見せたら、セクハラだよ!」
「ハッハッハ」
 笑って彼は畳にごろりと横になる。片肘をついて頭を支え、窓の外に視線をやった。まだ日は高く、青い空が明るい。
「散歩でもしねえか」
「いいよ」
 粋子は、浴衣と一緒においてあった羽織を取り上げて、腕を通した。



 二人は下駄で宿を出て、近くをぶらぶらと歩いた。夕神は袖の中で両腕を組み、ゆっくり歩く。カラコロという粋子の下駄の音が心もとないと思ったのか、夕神が珍しく自分から手を取ってくれた。彼の大きくて力強い手につかまると、雲の上にいるように足が軽くなる。
 石畳の路地を抜けると、ひなびた商店街があった。
 
「ここらは変わンねェなァ」
 夕神が懐かしそうに言う。
「ここ、来たことあるの?」
「ガキの頃、毎年のようになァ」

 この町には彼の親戚がいて、夏休みのたびに遊びに来ていたという。今は、その親戚も越してしまっているが、当時よく通ったなじみの店がいくつかあるらしい。文房具屋、八百屋、金物屋、並んでいるのはどれも古びて小さい店構えだ。

「ちぃとばかし挨拶してくらァ。おめえはどうする? 根ほり葉ほり聞かれちまうかもしれねェが」

 子供の頃の夕神を知っている人達に会いたい気もするが、知らない人と話すのはおっくうな気もした。
「じゃあ、先に帰ってようかな。私もお風呂入ってる」
 粋子がしばらく歩いて振り返ると、見送るように立っていた夕神は手を上げてから背を向けた。浴衣の背を覆う長い黒髪、素足に下駄。やっぱりよく似合っていた。



 粋子が温泉からあがっても、まだ彼は戻っていなかった。
 商店街で別れて2時間近く経って、窓の外に日暮れの気配が漂うころに、部屋のふすまが開いた。

「すまねえ。遅くなっちまった」

 少し息が切れている。浴衣一枚で寒くなって、走ってきたと言う。下駄の音をとどろかせて走る彼の姿を想像して、少し笑ってしまう。だから最初は、変化に気づかなかった。

「あれ?」
 
 向かいに座る男に、なんとも言えない軽さを感じる。粋子は、腰を上げると、座卓を回って彼に近づいた。

「あああァァーーーーーッ!?」

「うるせェ! 鼓膜がやぶれちまわァ」近くで叫ばれて、夕神は両耳を押さえた。

「切ったの!? 髪! 髪!」

「あァ。知り合いの床屋にでくわしちまってよォ。店に引きずり込まれて、あれよあれよという間にこれだ。まさかここまで短くされるたァな」
 そう言って、すっかり短くなった襟足を片手でくしゃくしゃと乱す。前から見るとほとんど変わらないが、後ろはきれいに短髪になっている。

「な、なんか違う人みたい」
「そうか?」
「昔の写真みたい」
 新聞やニュースで報道された、今から8年ぐらい前の写真、あの頃の彼のように見える。
「さっぱりしたぜ」
「たしかにさっぱりしてるけど‥‥」粋子は思わず目を伏せた。「あんまりこっち見ないで」
「なンでだ」
「別人みたいで‥‥照れる」
 
 最近の彼は目の下の隈も薄くなり、前髪の白いところも減って、囚人の頃とはずいぶん雰囲気が変わっている。その上、髪まで短くなったら‥‥。

「ヘッ。面白ェ」

 今度は夕神が、ずりずりと身を寄せてくる。粋子は避けるように、さらにうつむいた。浴衣というだけで感じが違ったのに、今は、もはや見知らぬ青年みたいだ。背が高くて爽やかでかっこいい男の人。



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