深海
□1. 始まり
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1.始まり
――光がほとんど届かない海の底。――
音のない静かな空間には、水面の上から注ぐ微かな光に浮かぶ色のないものたちが隠れている。
それは味方でも仲間でもなくそれぞれ生きるものたち。
油断したらやられたり、更に深い闇に落ちていく。
だからじっと息を潜める。
ぼんやりと見上げるとユラユラと影が揺れてゆっくりゆっくり光が落ちてきた。
上昇して顔を出せばきらびやかな世界が見えるだろう。
けれど私にはその世界を見る資格はない。
静かでゆったりした薄暗い時間を一人で過ごすのだ。
犯した罪とともに。
時折、憧れるように上を見上げて、過ぎ去った日々を懐かしく思う。
吐き出したため息は泡となり、小さく高くのぼっていく。
ダークブルーの闇の世界。
静かな日常。
*
組織を壊滅させて数ヶ月後、コナンは哀に呼び出された。
博士の家のソファーに座って待っていると、白衣を着た哀がやってきた。
「待たせてしまってごめんなさい。やっと完成したわ」
連日徹夜続きで疲れてはいるが、晴れやかな顔の哀。
「解毒剤よ」
コトン、とテーブルへ置かれた瓶にはカプセルが入っている。
眼鏡の奥にあるコナンの丸い目が大きく見開く。
小さい瓶をゆっくり見つめ、哀に目線を移し徐々に開かれた口から恐る恐るの声が出てきた。
「…マジ?」
「ええ」
しっかりとした口調で哀が答えると、コナンは再び瓶を見た。変わらずにそれはそこにある。
「…いやったあああああ!!」
コナンの気持ちは空まで突き抜けるほど舞い上がり叫んだ。
嬉しい。
やっと、やっと元の姿に戻れる。
(蘭…)
ずっと待たせた蘭にようやく約束を果たせる。
やっと気持ちを伝え合えて傍にいられる。
「灰原ありがとな!」
コナンは満面の笑顔で哀の手を握りブンブン振り回し感謝する。
と、反対に哀は目を険しくさせて冷静に言った。
「浮かれているところ悪いけれど、今すぐ飲むつもり?そんなことしたら周りが混乱するだけよ」
「・・・あ?」
薬を飲む前に色々根回しをしなくてはならないのだ。
コナンと言う小学生が突然消えたら、周りは不自然に思うだろう。
一々、コナンは工藤新一だったと説明するのか。
一人の人間が子供に若返り元の年齢に戻る。
夢物語のような不思議な話はあっという間に世間に広がるだろう。ましてや工藤新一は有名人だ。
それは同時に危険な薬の存在を世の中に知らしめてしまう事になる。
この薬を喉から手が出るほど欲しがる連中は沢山いるだろう。
世界規模で薬を巡り、争いになると想像にたやすい。
開発者の宮野志保にだって新たな危険が及ぶだろう。
わざわざ混乱と危険の種を撒くことはない。
そのためには、コナンを上手く退場させなくてはいけないのだ。
「それに。薬飲んでしばらくは経過を見るから、すぐには元の生活には戻れないわよ」
「えー!」
コナンは眉を歪めて抗議の声をあげた。立ち上がりテーブルに体重をかけて哀のほうへのめり込んだ。
「何でだよ?」
「解毒剤が完璧ではなくて万が一…ってこともあるし」
「薬、完璧なんだろ?俺、オメーを信じてるぜ」
「……」
キッパリと言うコナンに迷いはない。哀は黙ってコナンを見つめた後、肩で息をはいた。
「私は完璧に終わらせたいの。検査と経過を見てからこそ、貴方から毒を排除できたと結論づけられる。それに絶対大丈夫なんて事は無いから、何が起きるか解らないわ」
「…どのくらい様子見するんだ?」
「本当は1ヶ月様子見したいんだけど、3週間程かしら?」
「3週間?!」
またもや思っていたことと違う展開に不満なコナンは声をあげた。
すぐに新一として戻れると思ったのに。
「何でそんなにかかるんだ?」
「…実を言うとね。解毒剤飲んだ後、抵抗力がかなり落ちるの。元々毒にさらされていた身体は見た目には解らないけれど、かなり弱っているのよ。」
説明している哀は組んでいた足を組み換える。
「特に飲んで数日は気を付けなくてはいけないわ。風邪なんか引いたらそこでお仕舞い。…あの世行き」
「!」
驚いてコナンは目を丸くしたまま固まる。小さな汗が頬を通る。
「で、でもさ。気を付けてれば何とかなるんじゃねえか?オメーが助けてくれれば…」
「24時間貴方の傍にいろとでも言うの?事件体質の貴方の傍に」