果てしない脱線鉄道

□保健室は今日も大賑わい
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穏やかな陽気の放課後。
少し開いた窓から柔らかい風が吹いて白いカーテンが踊っている。
外からは運動部の掛け声と吹奏楽部の演奏が室内まで流れてくる。
真っ白な室内には赤みがかった茶髪をショートボブにし、透き通るような白い肌に白衣を纏う女性がファイルの整理をしていた。
宮野志保。20代後半の保険医だ。
翡翠の瞳は数日後に行われる健康診断の全校生徒分の紙で、枚数を見直しほっとする。
すっかり冷たくなった珈琲を飲み干しカップをシンクで洗っていると、トントンとドアがノックされ生徒が飛び込んできた。

「志保ちゃん!」

「歩美ちゃん?」

「良かったー! 志保ちゃんいてくれて〜」

元気印そのままの3年生、吉田歩美がジャージを着たまま指を抑えていた。
歩美の大きな声を諌めるように人差し指をサクランボ色の唇の前に立てた。少し屈んだのでサイドの髪の毛が頬でサラリと揺れた。
その姿はとても色っぽくて同性なのに歩美の胸はドキドキとする。微かに香る志保愛用の香水も追い打ちをかける。

「寝てる生徒がいるから」

志保が流した目線の先にはカーテンの閉まったベッドがある。太陽の光で透けて横に膨らんで動かない誰かの影が見えた。

「はーい。ごめんなさいー」

歩美は小さな声で謝りペロリと舌を出した。

「突き指ね、見せてちょうだい」

志保は手早く処置をした。テニス部に所属している歩美はたまにこうやって怪我をして保健室へやって来る。
明るくて人懐っこい歩美はすぐに志保と打ち解けた。
怪我をしなくても友達を連れたり一人で顔を出してくるので、お茶やお菓子で女子だけのお喋りをすることもある。
と、言っても志保は殆ど聞き役なのだが。
呼び名も歩美からお願いされて、名前で呼んで名前で呼ばれている。
教科担当でもないし、先生と思われていないのだろう。それもまあいいと志保は思って承諾した。
他にも馴れ馴れしく名前で呼んでくる生徒が少なくないが、その都度先生と呼びなさいと注意をしたりする。しかし歩美には違った。
多分生徒の誰よりも彼女を贔屓にして甘やかしているのだろうと自覚もある。
どこか友達みたいに、妹みたいに思うのだ。

「これくらいならすぐに治るわ」

「良かったー。ありがとう志保ちゃん」

「そう言えばさっき、居て良かったってあれ何? 私ずっと居たけど」

「え? だって入り口のプレート不在になってたよ。影が横切ったの見えたから居るって解ったの!」

キョトンとし、ジトリとカーテンの奥を志保は見る。

「道理で今日はすごーく静かだと思ったわ」

少し嫌味を含んだ声を大きくすると、カーテンの向こう側の山がピクリと動いた。

「ふふ。志保ちゃん美人だからいつも保健室賑やかだもんねー。運動部だけじゃなくて文化部も帰宅部の男子も居るし」

「ほんと何しに来るんだか。サボりばかりで呆れるわね」

と、自分の学生時代を棚にあげて言ってみる。

「もー、だからー美人だから…。って、まあいいや…」

知的な美人、そしてまだ20代な保険医は男子を中心に絶大な人気がある。
美貌も武器にせず女性にありがちなお喋りもない、つれない所などがまた魅力だ。
なので保健室はいつも志保目当ての生徒で賑やかだ。
その見た目とは別にどこか擦れていない、天然で鈍感なところがあると歩美は思っている。特に恋愛など人の好意には疎い。
そんなところがたまらなく可愛いと年下ながらに思っている。

「まあ…たまには落ち着いた日もあっていいけどね」

「じゃあ私、部活に戻るね」

「ええ。頑張って」

志保は歩美を入り口まで見送る。

「またねー志保ちゃん」

「あー! 良かったー。宮野先生いるぜー」

ガヤガヤと柔道着を着たガタイのいい男子達がやってきて一人の生徒が一人の生徒の肩を担いで歩いている。

「元太くん!」

「おう、歩美。おめー怪我をしたのか?」

「うん。でもへーき。元太くんは?」

「こいつスッ転んで怪我をしたからよ」

「入って」

入り口の不在プレートを裏返して、志保は生徒を部屋に入れた。

「軽い打ち身よ。少し腫れるけど1週間くらいで治るわ。でも今日は安静にしてね」

「ありがとうございます。宮野先生!」

「ありがとな、宮野先生」

志保に触れられて顔を赤くした怪我人がお礼を言い、元太も続いた。
彼もたまに保健室へやってくる。面倒見がよくサッパリとした性格でとても好感が持てる。
帰りも仲間に肩を貸してもらって怪我人とその仲間は保健室を後にした。
間を置かず何人かの怪我人がそれぞれやってきた。一人ずつ処置をしているといつもの賑やかさがもどってきた。

「宮野先生ありがとうございました」

最後の生徒が出ていくと、志保は一息ついて立ち上がりカーテンを思いきり開いた。


「そろそろ会議に行くから、いい加減起きてくれないかしら江戸川くん? と言ってもさっきから起きてるんでしょうけど」
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