Dict

5件

【安政の大獄 (あんせいのたいごく)】
安政5年(1858年)から6年(1859年)にかけて、幕府が行なった弾圧。
当時の呼び名は戊午の大獄(つちのえうまのたいごく、ぼごのたいごく)。
大老井伊直弼や老中間部詮勝(まなべあきかつ)達は勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印、また将軍継嗣を徳川家茂に決定した。
これらに反対した者たちを弾圧した事件。
弾圧されたのは尊皇攘夷や一橋派の大名・公卿・志士で、犠牲者は100人以上。
最後の犠牲者は吉田松陰。
…幕府はとんでもない事してくれたものだ。

【井伊直弼 (いいなおすけ)】
1815年(文化12)〜1860年(安政7)
近江彦根藩主。
江戸幕府の大老。
日米修好通商条約を勅許を待たずに締結。
反対した尊皇攘夷派の大名から公家、志士に到るまで100名余りを弾圧(安政の大獄)。
報復を受けて桜田門外で水戸浪士達に暗殺された(桜田門外の変)。
管理人の苦手な人物。

【松下村塾 (しょうかそんじゅく)】
幕末の長州で開かれていた私塾。
意外に知られていないが、設立したのは松陰先生の叔父の玉木文之進。
武士や百姓でも誰でも受け入れていた塾。
管理人が一度は入塾してみたい塾。
主な塾生は久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義など。

【高杉晋作 (たかすぎしんさく)】
1839年(天保10)〜1867年(慶応3)
幕末の長州藩士。
久坂玄瑞と並ぶ松下村塾の双璧。
英国公使館を焼き打ちしたり将軍様に向かって「征夷大将軍」と叫んだり色々と過激(笑)
身分を問わず武士や百姓から成る奇兵隊を創設した^^
実は四国艦隊下関砲撃事件の和議交渉に当たったのは彼。
賠償金の話は幕府に押し付け、彦島租借の話は日本の歴史を長々と語ってしらばっくれた(笑)
辞世の句は「おもしろきこともなき世をおもしろく」

【吉田松陰 (よしだしょういん)】
1830年(文政13)〜1859年(安政6)
幕末の長州藩士、そして思想家、教育者、兵学者、地域研究家。
通称は寅次郎、号は二十一回猛士。
安政4年に叔父から引き継いで松下村塾を開塾。
安政5年に幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒、老中暗殺を計画。野山獄に幽囚され、後に江戸の伝馬町牢屋敷に送られる。
安政6年10月27日斬首。享年30。先生……(>_<)
辞世の句は「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」



[戻る]



©フォレストページ