短編置き場

□好きだよ、離れたくない。
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なんだろう。
とても大事なことを忘れてしまっている気がする。
ん〜、考えても何も分からない。
ここは居心地がいいしまあいっか。

そういえば、私は何をしていたんだっけ…
これもどうせ分からないから、やめよう。

白い世界にきて何日がたったかなんてわからない。
ここはお腹もすかないし、何も考えなくてもいいし
嫌な思いなんてしない。

嫌な、思い?
やっぱり、何か大切なことを忘れている気がする。

「あ、れ?私の名前って、なんだっけ」

あー、やめよう。考えたくない。
もうこのまま穏やかに過ごしたい。
あんな思いは二度としたくない。もうゴメンだ。

だから、あんな思いってなに。

“〜〜っ!”
誰かの声がするけどはっきり聞こえない。

「どこ?」
“〜〜っ!”

どうしてそんな悲しい声をしているの。
私まで、悲しくなって…涙が止まらない。

『春香!』
「私の、名前?」

グニャッと世界がゆがんで、真っ暗な世界が広がる。
いや、これは目を閉じているだけだ。
だけど瞼が重たくて明かない。

何があったか、断片的にしか覚えてない。
夏油が本気で私を殺そうとしたことは覚えている。

全身も鉛がのしかかったかのように重たくて仕方ない。
「っ、ぃきてる」

あんなケガまでして、生きながらえた。

「春香?待ってろ、いま家入さんを呼ぶから」
「アナタ、お願い」

目が覚めたのは高専の集中治療室だった。
家族以外の面会謝絶。
生死の境を何度何度もさまよったらしい。

「無事、しのげましたね」
「あ、ありがとうございます!」

両親が涙ながらに硝子にお礼を言っている。
残念だけど話す気力がない。
回復のために睡眠を欲している。

「しばらくは治療に専念だな。
今日からは集中治療室は出ましょう」

その声を聞いて眠りについた。
数日間眠り続けては起きてを繰り返し
身体は順調に回復していった。

誰も、あの日のことを話してこないあたり。
きっと夏油は、死んだんだろう。

やっと人並みの生活リズムに戻ってきて、
起きている時間が増えた。
それでも一日の半分は寝ている。

「五条さん、毎日悪いですね。
今まだ眠っていることの方が多くて」
「いえ、とんでもない」
「顔を見ていかれますか?」
「…すこしだけいいですか」
「はい、きっと喜びますよ」

夢うつつの世界で、廊下から聞こえるのは母と悟の声。
これは、夢なのか現実なのか。

「春香」
あの白い世界でも聞いた声。
悟が私を生かしてくれたのか。

「さとる、ごめんなさい」
ずっと言いたかった、ごめんなさい。
約束破って、ウソついて、ごめんなさい。

「どんな夢見てんだよ」





パチリ。夜中に目が覚める。
また、何か夢を見ていたような気がするのに思い出せない。

起きている時間で少しずつリハビリを重ねていた。
なにせ、2か月も眠っていて意識が戻ってからも
ひと月は動けなかったから筋肉が動かすたびに悲鳴を上げている。
リハビリのかいあって今では一人で歩ける。

どうも、このまま寝付けない。
少しくらいいっかと高専の中を歩く。
帰国してから、数回だけ足を運んだけどゆっくりする暇なんてなかったし。
何も考えずに歩いていたら“いつもの場所”にいた。

自分に飽きれてモノが言えない。
忘れたいのに、忘れたくない。
前に進みたいのに、進みたくない。

この場所は、思い出が詰まりすぎてつらいのに、
自ら足を運ぶなんて。
正真正銘の馬鹿としか言いようがない。

自分とはこういう人間なんだと受け入れよう。
とことん泣けばいい、無理に自分を強制するのはやめよう。
こうあるべきだとか、こうすべきだとか。
そんなものは、取っ払ってしまおう。

「さんざん我慢したんだもん」
死ぬと思ったとき、泣き叫んでおけばよかったと思った。

ヒックと声を上げて泣くも、夜だし響くし我慢しなきゃと
膝に顔をうずめる。

「私ばっかりとか思うな。でも、一人の時だけは許せ」
「誰にも、バレないようにするから」
誰に許しを乞うているのか不明だ。
自分で言った言葉で、孤独感にさいなまれさらに涙があふれてくる。

「それは、困るんだけど」

悟のあきれた声が、聞こえる。
まさか、これも夢の続きだろうか。
都合のいい夢を、ずっと見ているんだろうか。

怖くて顔をあげれない。

「夢です。これは夢です」
「勝手に夢にしないでくれる?」

足音が近づいてきて、隣に腰を下ろす気配がする。
リアルな夢です。これは夢です。早く覚めてくれないか。

「ちょっと、現実だから」

なんにも、話す心の準備してない。
会議の時も、ただ見ているだけでよかった。
一生、こんな風に話すことは叶わないと思っていたのに。

「そうやって、一人で泣かれると困るっていってんだけど」
「なんで?」

顔をさらす勇気はないので、膝に顔をうずめたまま答える。

「僕をフったんだから、うざいぐらい笑って過ごしてろよ」
「だから、なんで」
「そんな姿見たら、お前のそばに居たくなるからだよ」
「…ちょっと、私には理解が追い付かない」
「バカ」
「いや、それは認めるけど」
「キモイとか言うなよ。お前を好きなままだから」

その言葉にギョッとし、バッと顔を上げて悟の顔を捉える。
きれいな眼が、私を映している。

「9年もたってるのに?」
「関係ねー」
「婚約するのに?」
「は?お前が寝てる間にとっくに破棄したわ」

「もともと、あの女と婚約するつもりもなかったし、
最初からそういう話だった」
上層部の干渉がひどいから、ダミーの婚約式だったらしい。
あの日学校に来ていたのは、上層部に真実味を持たせるためのフェイクで。
婚約相手の人は、心に決めた人が居るとか何とかで。

「約束破った私を?」
「あー、そうだよ。最高にダッサいけど」


「冷たくなっていくお前を目の当たりにして、
覚悟きめた。俺の隣は春香意外考えられない」

こんな風に熱いまなざしで、こんなことを言われて
この人に落ちない人が居れば挙手して教えてほしい。


「私も、ずっと好き」
だったんだよ。

最後は喉がギュッと痛いほど締め付けられる。
驚きのあまりとまっていたいた涙がとどまることを知らない。

「さとるが、好きだったよぉ、ヒック」

グイッと引っ張られて悟の腕に収まる。
悟を離さないといわんばかりにすがって、抱き着いて、子ども用に泣き叫んだ。


「なんで、あのとき俺を頼ってくれなかったんだ」
苦しいほど抱きしめられる。

ひとしきり泣いて頭痛がひどい。

「家に、圧力がかかって」
あの時は悟も学生だった。
いくら五条家でも、実権を握っていない悟には上層部を相手にするのは
骨が折れることだと容易に想像できた。

「あの時の俺じゃないから。次は約束ちゃんと守れよ」

また涙腺を緩ませてくるもんだから、返事の代わりに大きな胸に飛びこんだ。


好きだよ、離れたくない。
(もう二度と自分からこの手を離さない)



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