黒子
□薄汚れた思い出
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薄汚れた思い出だね。
どこかで彼女がまだ嗤ってるような気がして戦慄が走った。
「黄瀬君は怖くないの?」
「何が?」
彼女は刻まれた制服をこれ見よがしに着ていた。靴下は片方しかない。上履きは両方ともない。服も髪も濡れていて、口の端には血と痣がグロテスクに存在を主張していた。
「死ぬこととか、この世からいなくなること」
「なまえちゃん。いくら酷い扱いを受けてても死ぬのはよくないっスよ。それは報いにはならない」
「ニンキモノの黄瀬君に分かってもらう気はないよ。ただ、今のところまだ死ぬ気はない。私にとって死ぬってことはきっと帝光中バスケ部における、負けるってことと一緒だから」
彼女は嘲笑した。少しムカついたが、なんとなく分かるような気がした。
「なまえちゃんはいじめられてて辛くないんスか?」
「いじめれてて辛くない人なんてこの世にいるの?とんだドMじゃん」
今度こそ彼女はおかしそうに笑った。少し狂ったようにも見える。
「あのね、黄瀬君」
「?」
「君は負けるよ」
「はい?」
「今じゃなく、もっと先の話かもしんない。だけど君はいつか絶対に負けるよ」
「それってどういう」
「そのままの意味だよ。そしてそれは私も同じ」
……背中を一筋汗が伝った。黒い大きな瞳がオレを射止める。なんの輝きも灯ってなかった。
「あーあ。私、なんでいじめられたんだろう」
彼女が微笑んだ。こんなに心を貶されて詰られてぐちゃぐちゃにされても、人はこんなにたくさんの笑い方ができるのか。少し、不思議に思った。
「ごめん」
でも、本当は
「ごめん、なさい」
全部知ってた。
(ねー!黄瀬くん学級委員になったらしいよ)
(マジで?!えー、一緒に仕事できる女子羨ましすぎ。で、女子は?)
(それがさ、みょうじさん)
(誰それ)
(分かんない。また地味なやつがでしゃばってんでしょ?)
(なにそれ、ムカつく)
(ね。)
「あはは、何で黄瀬くんが謝ってんの?」
「……。」
「黄瀬くんもさ、もう行きなよ。私死なないからさ」
「あの、」
「私と関わったこと、君にとっても汚点になるのかな。悪いね。今の一瞬一瞬も薄汚れた思い出になるんだ」
「なまえちゃ…」
「バイバイ。私ももう帰るわ。君も色々がんばってね」
彼女は足を引きずるようにして歩いて行った。靴下を履いてない方の足が痛々しく腫れているのが一瞬見えた。
空気が気持ち悪かった。全てが澱んでいた。
次の日から、彼女はもう学校に来なかった。
転校する手続きはもうすでにしてあったらしい。誰にも言わず、ひっそりと彼女は姿を眩ませたのだ。
結局、オレは彼女がどうなったのか知らない。生きてるのかさえ分からない。その点においては彼女の言うとおり薄汚れた思い出となっていた。
しかしオレは、一向に彼女のことを忘れられないのだ。
『薄汚れた思い出』
(そして溜め息は曇り空にとけた)
12/07/27