るろうに剣心*short*
□これもひとつの。
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「おい壬桜、ちょっとこい」
「なに?御飯まだ出来てないよ」
無愛想な声に夜食を作る手を止めた。
「別にかまわん。さっさとこい」
「うん…?」
急かしてくる斎藤に、とりあえず呼ばれるまま、斎藤の姿を台所から居間を探す。しかしそこに斎藤の姿はない。
しかたなく台所を離れ、居間の中で辺りを見回すと、庭側の障子にその人の影を見つけた。
庭先の斎藤は、いつもの警官服ではなく楽な着流し姿で座っていた。明治に入ってから酒を飲まなくなっていた斎藤が珍しく酒を呑んでいるようだ。
「どうしたの?」
「特に何と言うこともないが、たまにはお前もどうだ」
斎藤が、すっとこっちに手を伸ばしてくる。その手には盃が乗せられていた。
なんだか、心なしか斎藤の機嫌がいい気がして、微妙に居心地が悪いが、恐る恐る、盃に手を伸ばした。
この人が機嫌のいい時は、大抵私にとって嬉しい事でないことが多い。
私の手が盃に届く寸前、その盃は斎藤の手によってふいと避けられた。
もちろんその急な動作に私の手がついていけるはずもなく、宙に浮いたそれは斎藤にあっけなく捕らえられてしまった。
そして私は、声をあげるまもなく、そのまま斎藤の腕の中へと引っ張りこまれた。
「さっ…斎藤…?」
まったく何一つ理解できないままの私に、くつくつと喉の奥で斎藤が笑う。
「驚いたか」
「斎藤、まさか酔ってんの?」
抱き抱えられた斎藤の腕の中は、いつもの煙草の香りに交じって、色濃く酒の香りが漂っていた。
加えてこの理解不能な行動。あの斎藤が酔っているというのは、恐らく間違っていないだろう。
「ちょ、…離して…!」
そのまま抱き抱えられているままなら、まあ良かった。
でもこの斎藤がそれで終わるわけなどなく、するりと腰を撫でてくるもんだから身体をなんとか解放してもらうべく、じたばたと動く。
「そう暴れるな…冗談だ」
斎藤は憎たらしい表情をして直ぐにその手を放し、私に盃を持たせ腕から解放した。
こういう冗談は斎藤が相手だと冗談に思えないので私としては勘弁してもらいたい。
「ほんと、冗談に思えないから。…それより、斎藤が酔うまで飲むなんて、何かあったの?」
私は自分と斎藤の盃に近くに置かれていた酒を注ぎ、隣の斎藤に視線を向けた。
視線の先にいる斎藤はまた酒を一気に煽ると、そのまま空を仰ぎ見た。
「別にどうしたわけでもないが…ただ、月がな」
「月…?」
「ああ」
斎藤の視線を追うと、黄金の輝きを持って、暗い闇夜にぽっかりと月が浮かんでいる。
冬の澄んだ空気の中にある月は、なるほど狼をも酔わせてしまうほどの美しさである。
「斎藤にも、こういう風情を楽しむ心があったんだね」
悪態をひとつつくと、私も斎藤に習い、酒を飲んだ。
私の知らぬ間にいつこんな上等な酒買ったのだろう。
「阿呆。俺だって月ぐらい見るさ」
「まあ狼だもんね」
クスクスと笑って見せればいつもなら、悪態をつく斎藤も、何も言わず薄く笑い酒を呑む。
「でも、斎藤と2人でお酒なんて…いつぶりだろう?」
「さぁな…まあ、たまにはいいだろ」
斎藤がもっと呑めと言わんばかりに、盃に酒を注いでくる。まあ、斎藤が言うとおりたまにこんな日があってもいいだろう。今日は夜食を作るのを止めにして、月見酒だ。
久々に交わす酒。言葉を互いに話すことは少なくても穏やかな空気だ。