世界一初恋
□それじゃあ天国で。
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連日の雨が嘘のようにからりと晴れた日曜日。
俺は宇佐見秋彦の新刊を広げ、高野さん家のソファにだらりと寝そべっていた。
なぜ自宅でなく高野さん家にいるのか、それはまあ言わずもがな、というものだ。
「おい。せっかく晴れたんだしドライブにでも行こうぜ。」
だらけた部屋着のままの俺と違い、顔を洗い着替えをすませた高野さんがソファの前に立つ。
「んーお断りします。俺本読みたいですし。誰かさんのせいでひどい腰痛ですし。」
「腰痛いのは俺だけのせいじゃねーだろ。つか読書ならいつでも出来るんだし。ほら、さっさと着替えろよ。」
「い・や・で・す!いつでも読書ができるような仕事じゃないでしょ。せっかくの休みなんだからゴロゴロさせてくださいよ。」
「お前さ、晴耕雨読って言葉知らねーの?読書は雨の日にするもんなんだよ。」
「それが出版社に勤める人が言う台詞ですか。とりあえず俺のことは放っといて下さい。ドライブ行きたいならお一人でどーぞ。」
ちょっと冷たいかなと思わなくもないが、昨夜好き勝手されたことをそれなりに怒っているのも、その後遺症に苦しんでいるのも本当だから自業自得だと結論付けて再び本に目を落とす。
「…ずいぶん冷たい恋人だよな。」
ぼそりと本格的に拗ねた声が漏らされる。
うぅ、と一瞬その声音にほだれそうになるのをこらえ、なんとか無視を決め込もうとするが。
「俺って本当に愛されてんのかな。」
ううぅ…
「俺はこんなに好きなのに、なんか付き合う前とあんまり変わってねー気がする…」
「あああもうわかりました!行きます行けばいいんでしょ!!」
これ以上高野さんの呟きに耐えられなくなって、急上昇する熱を発散させるように大声で叫ぶ。
愛だの好きだの本当にこの人の言うことは恥ずかしい。
着替えるためにソファから体を起そうとすると、高野さんの大きな手でそれをやんわりと止められる。
なんだ?と思って見あげると、予想もしなかった台詞が落とされた。
「お前って、どんくらい俺のこと好きなの?」
「……は?」
どれくらい好きかって…
なんだその問い!?
「あの…高野さん?」
「なぁ、どれくらい?」
「ちょっと!どいて下さい!」
俺の上に馬乗りになる高野さんの重みでソファがギシと音を立てる。
「律…教えて。」
息遣いがわかるほど顔を近づけられ、逃げ場を失った俺は…
「どいて下さいってば!!!」
全力で高野さんを突き飛ばしてしまった。
俺の攻撃を予想もしてなかった高野さんは、ドスとにぶい音をたててフローリングの床に尻餅をつく。
「あ…。」
「律、テメェ!」
「た、高野さんが悪いんですよ!どけって言っても聞かないから!」
「お前がいつまでも答えないからだろ!」
「そんな恥ずかしい問いにどう答えろって言うんですか!」
これ見よがしにため息をつくと、わかってねーなと漏らしながら俺を見据える。
「いいか。今の問いかけに対するお前の答えはこーだ。」
感情の読み取れない表情のまま徐に両手を伸ばしたかと思えば、それらを上から下に向けて大きく空に円を描きながら、こう言った。
「『俺は高野さんのこと、これっくらい好きですよ。』」
…ピシと顔が強張るのがわかった・
…。
……。
バカじゃないのかこの人―――――――――――!!!!??
顔に似合わない一連の動作と低音で呟かれた台詞のせいで背中に寒気が走る。
今この人なんて言った?
っていうかもう何??この人何???
「アンタ本っ当に恥ずかしいですね!!いやもう恥ずかしいを通り越して痛いですよ!?三十路目前の男が何してるんですかまったく!!!」
「うるせー怒鳴るな。お前がわからねーって言うから模範解答教えてやったんだろーが。」
「なにが模範解答ですか!今俺かるく鳥肌たちましたからね!?」
「おい…それが恋人への台詞かよ。」
なんで朝っぱらからこんな恥ずかしい仕打ちを受けないといけないんだろう。
こんなことなら素直にドライブに行っておけばよかった。
後悔する俺をよそに、高野さんはまだその話題をひっぱろうとする。
「お前が俺を思ってるより、俺はお前を好きでいる自信があるから。」
「あーそうですか。」
羞恥に耐えられず、わざとぶっきらぼうに答えてしまう。
「そーだよ。まあ結局のところアレだ。お前が俺に勝てるものは一つもないってことだな。」
「…はい?」
なんだか聞き捨てならない言葉が聞こえてピクと反応する。
「だってそーだろ?仕事も家事も愛情の大きさまで俺に負けてるんだぞ。情けねーなー。」
そんなことあるはずないだろ!と言いたかったが…
あれ?確かに俺が高野さんに勝てるものってなんだろう?
悔しいが高野さんの言うとおり仕事と家事の能力では比べるまでもなく負けている。
他に…他に勝てるとこ?
俺が誇れるものって…読書量?
いや、でも高野さんも俺に負けず劣らずの読書家だ。
あれれ…?
何一つ思い浮かばず呆然とする俺に「ほら見ろ。ねーだろ?」と高野さんが勝ち誇る。
素直に降参するのが悔しくて、けれども目に見えて負けている仕事や家事を持ち出すこともできず、つい言ってしまった。
一応断っておくが。
これは「つい」だ。不可抗力なのだ。
そこだけははっきりさせておこう。
「俺の方がずっと高野さんのこと想ってますよ!」
「……え?」
ああ珍しい。
この人もこんな驚いた顔するのか。
自分の吐いた台詞から現実逃避するように、頭の片隅でそんなことを思う。
ゆるりと破願した高野さんは、嬉しいと漏らして俺を優しく優しく抱きしめた。