長編

□03
1ページ/1ページ





ぬるり、と、手に赤いものがまとわりつく。



ああ、人間はなんて脆いのだという思いは目の前の血だまりに消える。



人間が簡単に壊れてしまうのを知ったのは、これが初めてじゃない。




俺は主人に言われるがまま、人を殺し、罪を犯してきたのだから。




握り締めたナイフの一刺しで、力を込めた足の一蹴りで、その骨は砕け、肉は裂け、血は噴き出る。




この血と主人の白濁は、布で拭っても、水を浴びても落ちない気がした。



だから、初めて此処に来た時、俺が触れてはいけない物がたくさんあった。



俺が触れれば、この王宮のきらびやかな装飾も、一瞬で輝きを失ってしまう気がして…。





「エレン。」




聞き慣れてしまった声。


この声はまさしく主人のものだった。


振り向けばいつもの気持ちの悪い笑みを浮かべた主人がいた。


俺の顔を見るなりニィッと口角をあげ、その口は聞きたくない言葉を紡ぎ出す。




「人を殺せ。」


『……。』



「私を満足させろ!」



いつも俺に向かって命じた、欲だらけの汚い命令。



『っ、嫌だ!!!』



主人に逆らったら終わりなのに、俺の口ははっきりと拒絶する言葉を放った。



「言うことが聞けないのか?」




ガチャリ、と音がして、主人の手元を見れば、見覚えのあるたくさんの拷問具。


サァッと、血の気が引いていくのが分かった。


「そんな奴隷には、仕置きをしなくちゃなぁ…?」



拷問具を両手に抱え、静かに歩み寄る主人。



『やめろ…!来るな…!』


こわい……助けて……



「エレン!」


『ひっ、』



助けて………









誰かっ!!!











『…っは!』



目が覚めれば、視界に入るのは見慣れない天井と、まるで雲のようにふわふわと体を包み込むベッド、窓から見える蒼い海と空。



あれが夢であることに安堵し、昨日のことを思い出す。





ーああ、そうだっけ。



俺はあのシンドバッドに連れられ、シンドリアに来たのだった。





ーあれから、シンドバッド王達と一緒に船に乗り、シンドリアを目指した。



だが、俺は慣れない船にだいぶ酔ってしまい、俺は眠ってしまった。



いつの間にかシンドリアの王宮内に着いていて、誰かに背負われながら寝ぼけ眼で王宮内を見回した。



そこから、俺はまた寝てしまったのだろう。
ここから先の記憶が無かった。



とりあえずベッドから出れば、コンコンとノックの音が部屋に響く。



一呼吸おいてからガチャリと扉が開き、そこにいたのは緑のクーフィーヤをかぶった、昨日の青年だった。



「ああ、起きていましたか。」


そう言って、優しく微笑むその青年は、白い肌にそばかす、そして太陽光を反射して輝く銀髪が印象的だった。



「体はもう平気ですか?」


微笑みを崩さないまま、優しい声音で青年はたずねる。



『は、はい…。』



「そうですか、なら良かったです。」


そう言うと、青年はさらに嬉しそうに笑った。

そして、間を開けて続ける。



「シンドバッド王が、あなたを待っていますよ。」



ついてきてください、と言う青年に、ついていく以外の選択肢は無かったのだろう。




ただ、青年の後ろをついていく俺の心の内には、なんとも言えない期待と恐れのようなものが入り混じっていた。


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ