小説

□まぶたに残るひがん
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(シンアヤ)






「よどんでるね」


彼女はまんまるな大きな黒色の瞳を優しく細めて、俺の目を見て告げる。
よどんでるね、よどんでるよ、と。
繰り返して楽しそうに、彼女はクスクスと忍び笑いをした。
この距離感では忍ぶ意味など無意味だったが。

何がだ、と俺は返す。
あまり不躾な無愛想に低い声は出したくはないのだけれど、なぜだかいつも抑揚のない暗いものが喉を、空気を、震わせる。
小さなたたえていた笑みを止めて、ふんわり彼女は優しく目尻を下げた。
慈愛に満ちた、母のような目だと思った。
母さんはあんなにも目立つ赤色のマフラーなんてものを、年中つけてはいなかったけれど。


「目が、だよ。シンタローの目はとても綺麗なのにもったいない。これじゃあまるで、濁っているみたい。
もし水だったら、富栄養化が始まりそう」


俺の目はそこまで汚くはないはずだ。
綺麗でも無いけれど。
俺なんかよりよっぽど、お前の方が綺麗な目をしてるだろ。
それはただの錯覚にすぎないかもしれなかったが。

突拍子もないかもしれなかった俺の言葉に彼女は刹那、驚いたように目を見開いた。
ほら、この瞬間だって星の瞬き出すような寂しさと暖かさを含む、夕焼けのような。


「私の目が赤色だなんて、嬉しいなあ。
誰にもそんなこと、言われたこともなかった……ありがとう、シンタロー」


照れたように頬を掻きながら、寂しそうに幸せそうに笑う。
それにしても、よく富栄養化なんて言葉を知っていたな。
少しばかり感心してぼうっと見てしまうと、彼女はなあに?とはにかんだ。


「あ、分かった。どうして私が富栄養化なんて知っていたか、不思議なんでしょう。ふふん、教えてあげようか?」


そんなに自慢気に言うことでもないだろうに。
昨日の定期試験の問題に、保険で出題されていただろう。
そっけなく返すと子供のように頬を膨らませた。


「う、そうだよ!私だって覚えたもん……。
そうだシンタロー、今日は早く帰ることができるし、寝るといいよ。隈、ひどいよ?」


パンダみたい、と言うがそうだろうか。
そっと目の下を指でなぞると、不自然にくぼみがある。
なるほど、今朝見た鏡に映る自分は、不健康そうに黒色の隈を確かに携えていた気がする。
そうだな、別に寝ていないわけでもないのだけれど。
だからどうしてこんな隈ができるのか、俺にはよく分からないな。
口に出したけれど、本当は分かっていた。
昼夜が逆転した生活を送りながら学校にも通っているのだ。
そりゃあ普通の睡眠すべき時間に起きているのだからリズムが狂う。
おかしくもなる。不調だって。


「眠れない?」


首を振った。十分すぎるほどに俺は毎日、眠っている。
アラームに起こされて、まだ俺は同じような無意味な日々を過ごさねばならないのかと憂いては悲劇の主人公のように嘆いている。


「いい夢が、見られないの?」


そうかもしれない。
最後に自分の見た夢がどんなものかなんて、もう思い出せそうもなかった。
毎日眠り、規則的にきちんと見ているはずなのに。
小さく肯定を表すべくうなずくと、彼女は優しく笑う。
先程と同じように、変わらない、慈愛に満ちた笑顔を向ける。


「だからよどんでしまうのかも。目が、…………心が」


心が?
顔をあげると、あどけなく儚げな君がまだ立っている。
だったら、とまだ夏めき始めたばかりの日差しの下で両手を広げ、彼女はマフラーをふわりと舞わせた。


「だったらシンタローがいい夢を見られるように、おまじない。
私がずっと、シンタローにいい夢を見せてあげられるように頑張るよ!」


根拠のない言葉に、胸を叩く。
自信ありげで、何だか信じてみたくなった。
確証なんてもののない、不確定な何かに。


「今日から頑張る!だからシンタローは、今日からいい夢を見られるよ」


ね、こっちを向いて同意を求めるように笑う。
いつだって助けようとしてくれるのはお前なんだな。
諦めた俺を、諦めず励ましてくれるのはお前なんだな。


「お願い、×××」


続けられた彼女の言葉は分からない。
俺は目を覚ましてしまったから。

お前がそんなに頑張るくらいならば、俺はいい夢なんて見られなくともよかったよ。
寝転んだまま、天井がにじんだ。
お前の頑張りは報われている。
だってほら、俺はこんなにも今日も幸せな、お前の生きているあの日の夢を。


 まぶたに残るひがん


「お願い、って」









シンタローのCM見て。
私はこういう病んでる引きこもりなシンタローが好きです。

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