小説

□許しを得たいわけじゃない
1ページ/1ページ




(シン→アヤ)



眠るというだけの単調な、人間にとって必要不可欠のはずのことが嫌になったのは、はたして、いつからだったのだろうか。
ベッドに体を投げ出し、横たわってみても襲ってこない眠気。
変わりに俺を包み込むのは、どうしようもない虚無感と喪失感。

ごろり、寝返りをうって天井に向き直る。
染みのない壁紙が見返してくるだけで、静かにデジタル時計の数字だけが正確に時を刻み進んでいく。
その他は停止したままのこの部屋に、イレギュラーなど存在しない。
蛍光灯に無意味に突き出した右手は、予想通り何も掴めないまま空を切ってぱたりと落ちた。


(眠りたく、ない)


どうしたって眠らなくては死んでしまう。
まあ死んだような生活を繰り返しているのだから死んだって変わらないような気もしたが。
ともかく、日のあるうちにポツリポツリと薄く短い睡眠が取れるだけで、それだけでも構わなかったのに。

日が沈み、闇が覆う。
空に月が昇り、星が瞬く。
特に夜、睡眠欲は湧かなかった。
他の満たされない欲求が強すぎて。
そんなもの要らないから、と追いやって。


(分かってる、分かってるさ、そんなことは)


こんなことに何の意味があるの、と涙ながらにその昔、扉の向こうで妹が訴えた。
意味なんて、意味なんかひとつも無いことくらいは自分にだって分かっている。
当然だ、こんな非生産的な生活のどこにメリットがあるのか。

ならば何故、と問われれば俺は笑うしかなくなってしまう。
この他にどうしていいのか、分からないからだ。
分からないから、分からないなりに、こうやって過ごしている。

その昔は天才神童だなんてもてはやされたりなんかもしたけれど、はは、幻滅させたか?
悪いな、みっともないだろ。
それでもこれが、俺なんだ。
今の俺の、姿なんだ。


(雨、だ)


ぼだぼだ、と雨水が屋根に降り注いでいるのだろう、音がする。
外に出なくなって何日が経過しただろう。
昼夜も体内時計も世間とも統一を廃したせいか、感覚はない。
ただ少し、心が痛むような、そんな気がした。


(眠りたくなんか)


ぐらり、視界が傾いた。
まぶたが重たく垂れ下がってくる。
激しさをどこか増した雨音が、どんどん遠ざかっていってしまう。
眠ってしまう、どんなに眠りたくなくたって体は素直だ。
それに。


(眠りたくないのに、どうして眠らなくてはなんて、思うんだろう)


早く眠らなくては。明日もあるのに。
俺に明日なんて、ないのに思ってしまう。
明日なんて、今日と同じことの繰り返しの代わり映えのないもので、退屈な。
変わらないだけのものの、はず、なのに。


(どうして)


抵抗も空しく、すう、と意識が遠退いた。
泥のような夢の中に溶け落ちていく感覚。
ふわふわと浮わついて、気持ちがいいような、悪いような。

最悪の気分であることは間違いなかった。
あいつのいない世界を俺は、まだ生きていて、今日と言う一日を終えてしまった。
眠ることで、一日を完了させてしまった。
君と過ごした日々がまた一歩、一歩と消えていく。
待てよ、手を延ばしてもそれが届かないのは必然で。

ふと後ろを顧みると、夢の中の君が笑顔で俺を手招いていた。
ああ、君はここにいる。
いたんだな、ずっと。
俺の中だなんて、抽象的で中傷的な暗いところに。
明るい場所が似合うのに。
口角を上げる俺に、彼女は夏めいた優しい、俺の記憶にあるものと寸分違わぬ泣きそうな崩れた笑顔を見せた。


『どんどん先を生きて、私のことなんて忘れちゃうんでしょう?』


違う、と言いたいのに情けないひきつった声がもれた。
苦しい、辛い、行くな。行くな!
行くな、頼むから。
俺の必死の形相を嘲笑うかのように楽しそうに彼女は笑う。
その言葉は呪いのようでもあった。


『ひどいね、シンタロー』


もっと、彼女と生きたかった。
夢でしか会えないのに、眠ることが嫌なのは罪悪感に正面から向き合えないから。
だけれど普通に眠れるようになる日が来るのも、俺は怖くて仕方ないのだ。
普通に眠れるようになってしまえば、こんな風に俺の思い込んだ言を吐く、彼女らしくもない彼女を見ることはなくなるのだろう。

それもそれで、嫌だった。
嫌だったのだ、俺は。
結局のところ、俺はあいつのことがずっと、ずっと好きなのだから。


 許しを得たいわけじゃない









イエローでもこういう睡眠ネタで話を書いたけれど、いってしまえば私がこうやって眠りたくない!ってよく思ってるというだけです。
ずっと現実逃避。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ