TOY

□いずれぬるい水になる
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(セトとモモ)


灰色の分厚いどっしりとした雲から汚い水が落ち始めた。
何となく黒く見えてしまう雫がパーカーに染みて円と円とを繋げていくのがひどく不快だ。
久々に休みをとることができた私は夏の暑い日のうちにアジトに行っておきたくて、天気が崩れ出しているのを知りながら傘も持たずに家を飛び出してしまっていた。
結構な距離を駆けたけれど、入り組んだ路地裏にあるアジトは思いの外遠くって困る。

結局雨宿りをすることにした。
これ以上濡れたら風邪を引いて、また明日から再開してしまう仕事や学校やらに支障が出てしまっても困るから。


「……はあ。パーカーびっちょびちょだ、嫌だなあ」


服を着たままシャワーでも浴びたみたい。
英語の例文にそんなのがあったなあと思いながらぐっしょり濡れた袖をひっぱる。
まとわりつき人肌程度になった水滴が気持ち悪く滑って、腕をつたい水溜まりを作った。
ザアザアと降る雨の音が何重にも重なって聞こえる。
まばらというより皆無な人通りが新鮮。

適当な場所はないかと歩きながら辺りを見渡して、どこにでもあるコンビニに助けられる。
ちょうどいい、もう安物でいいから傘を買ってしまおう。

明るい店内は異様なほど暖かかった。
濡れた私を一瞥して、店員は心底迷惑そうな顔をした。
態度にはムッとしたけれど、びしょ濡れの私が迷惑な客であることには間違いないだろうから急いで会計を済ませる。
税込×××円になります。
レシートはいらないので、と買ったばかりの傘に貼られたシールを剥がしてさっさと外に出た。

むわり、湿気が全身を包んで肌が泡立つ。
特有の草の匂いが鼻をくすぐった。
上向きに上げてワンプッシュでぱしっと小気味いい音をたてて開いた傘に思わず口角が上がる。

ぱしゃん、ぱしゃん。
水溜まりで跳ねさせて靴に染みがつかないように慎重に歩く。
足元ばかり見て歩くと小さい頃に長靴で水を弾いてぱしゃぱしゃ遊んだことを思い出した。
あの頃もよく、お兄ちゃんに怒られたっけ。
危ないからちゃんと前を見て歩け、って。

視界に徐々に映りこんできた白と黒のツートンカラー。
見上げると、止まれの赤。


「あ、セトさん?」


車も通らない非日常的な風景に溶け込んで、憂うように空を見つめる彼には声をかけづらい雰囲気があった。
チカチカ点滅して、信号が青に変わる。
進め、の青。

走って距離を縮めて、ばしゃりと水音、跳ねた泥が憎らしい。
足を止めそうになってしまったけれど倍速で動かす。
私は一番の下っ端で年下で確かに頼りないけど、でもできることだってあるはずで。
辛いとき悲しいとき、誰かに見られるのは恥ずかしいことだけど一緒に誰かいてくれたら、嬉しいと、思うから。
迷惑かもしれないけどそれでも。

彼の隣に立った。
背の高い彼は顔を上に向けていて、その目に何を映しているのか私には分からない。
何と声を掛けるべきか、気付いていないのだろう、こちらを見ないセトさんに怯んでしまう。
息を小さく吸い込んだ。


「こんな所で、どうしたんですか?」


良かった、とがめるような口調にはならなかった。
驚いたように彼はこちらに目を向けて、合わせてくれる。
ぱちぱちと彼の、レモン色にどろりと混ざった血のように赤い目が忙しく開閉する。
思わず息を飲んでしまった。
彼は私の様子に悲しそうに笑んで、すみませんと謝る。


「すみません、心配かけちゃったみたいで。ちょっと昔のこと思い出したら、俺は何て情けないんだろうと思っちゃって」


「情けない?セトさんが?」


セトさんにそんなイメージは全くない。
すっとぼけた声を出してしまった私に彼は目尻を下げてありがとう、と告げた。
俺は如月さんが思うような強い男じゃないっすよ、とも。


「どうしようもない弱虫で、俺は、泣き虫なんすよ。何ができるわけでもないのに、建前だけ勢いだけ気持ちだけは正義ぶってるんす」


傘をさしていないセトさんに雨が落ちる。
刺すような言の葉に追い討ちをかけ彼を融かしてしまいそうで心が揺れた。
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