TOY

□いずれぬるい水になる
2ページ/3ページ




おずおずと傘を差し出すと、いいっすよ如月さんが濡れちゃう、とやんわり断られる。
そんなことは気にしなくたっていいのに。
やっぱりこの人は気遣いのできるいい人だと思う。


「私はセトさん自身がたとえそんな風に思っていたとしても、セトさんのこと、強くてカッコよくて素敵な人だと思います。欠点なんて無いみたいな」


ヒーローみたいな。
最後に付け足してしまったのは兄の赤色のジャージ姿を思い出してしまったからだった。
お兄ちゃんとは全然違うのだけれど、セトさんはお兄ちゃんみたいでもあるから。
赤といえばヒーローの色、なんていささか単純すぎるかもしれないけれども。


「ヒーロー……す、か。そうなれたらいいんすけどね」


思うところがあるようで、曖昧に笑った。
どこか懐かしそうに。

彼はまた空を見上げた。
私もつられて見上げると、ビニル傘越しに落ちる雨粒が光って見える。
辺りは薄暗くて、世界が切りとられたようだな。


「……あの、もう、帰りませんか?」


見上げながら区切った言葉を新しく吐き出すと、少しだけ悲しそうな目をして、セトさんはそうっすね、と言ってちょっとはにかんだ。
どうして彼がそんな目をするのか分からなくて、どうしようもなくて赤が微かに残る彼の瞳を見つめる。
私の心はすべて知られているのかと思った。
こんな「目」じゃなくて、そんな人の役に立てるような「目」を、私も持てたら良かったのに。

とぼとぼと歩くたびにぴしゃんぴしゃんとしぶきが上がる。
道中、彼はこれといって何を喋りもしなかった。
私も。ただ、居心地が悪いとは思わなかった。
雨が降り落ちる音が静寂に飽和してかえって心地いいと思える。

セトさんは107の扉を、ただいまと言いながら開けた。
いつものように、自然に。
その姿は何だか羨ましいもので、私も慌てて後を追う。
玄関に並んだ私と彼の靴はじっとり湿っていて、それぞれ小さな水溜まりを作っていた。

おじゃまします、声に出して言いながら暗い室内でドアノブを回すも、部屋には誰もいなかった。
タイミングが悪かったのかもしれない、きっと買い物か何かに出ているのだろう。


「誰もいないみたいっすね……如月さん、よかったらシャワー使ってほしいっす。そのままじゃ風邪、ひいちゃいますし」


「ええっ、私なんかよりセトさんがぜひ先に使ってください!私、丈夫なんで大丈夫です!」


セトさんは私がそう言っても先にシャワーを使う気は無いようで、アイドルが風邪引いちゃったらみんな悲しむっすよ、なんて笑った。
セトさんが風邪引いたら、マリーちゃんも団長さんもカノさんも悲しみますよ、お返しのように言えば、
如月さんは心配してくれないんすか、なんて軽口が返された。
むう、心配するに決まってるじゃないですか!
白熱するやり取りは数分続き、しかし私の敗けで勝負はついた。


「っくしゅ、」


「ほら、如月さん、体が冷えたんすよ。シャワー使ってください」


「…………な、なるべく早く出ますね!」


くしゃみがでるなんて予想外だ、不貞腐れながら水を吸って重くなった服を脱いだ。
脱ぎにくいことこの上なくて困る。
べちゃべちゃなのでフローリングの床にそのまま置くわけにもいかず、とりあえず洗濯物を入れるため使われているかごに、中身を出して入れさせてもらった。

見た目だけでもきれいにして、いざシャワーを浴びる。
熱めのお湯がじんわり熱を広げていくようで気持ちいい。
ひとしきり浴びた所で、遅ればせながらはたと気付いた。
あれ、私、着替えとかないけどどうしたらいいんだろう。
まさかバスタオルをまとってセトさんのいる部屋まで行くわけにもいかないし。
変態だと思われたら絶対に嫌だ!


「ええと、如月さん」


「は、はいっ!」


そんな俊巡の最中に唐突に声をかけられたものだから、意図せず声と心臓が跳ねる。
キドのなんすけどよかったら着替えにこれ、使ってください。置いておくんで。
気遣いの言葉をかけられた。
セトさんが去るのを確認してから浴室を出ると、シンプルな単色のTシャツとスウェットのズボンが置かれていた。
団長さんらしい気がして少し笑っちゃったのは、内緒。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ