TOY

□テトラポッドと宇宙ごみ
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何十回目かのマリーの家は今日も綺麗に片付いていて、棚にはぴっちりと色んな本が並べられていた。
前に見せてくれたアルバムを見つけて、なんだかちょっと懐かしく思えて笑ってしまう。
紅茶いれてくるね、そんなこといいのに彼女はぱたぱた足音を響かせて奥へと消えていった。

残された部屋で一人、することもなくキョロキョロ辺りを見渡してしまう。
彼女が使っているのだろう机に、見慣れない写真立てがあって驚く。
写真ではなく、いかにも南国の海といった風のビーチと砂浜が描かれた絵葉書がそこに飾られていることにも。
少し色褪せたその絵葉書に吸い寄せられたようで、気付けば俺は写真立てを手にしていた。
ガラス越しに撫でると、赤色のハイビスカスが艶やかさを増したように思えた。


「わ、わー!見ちゃダメっ!」


いつの間にいたのだろう、ティーポットとカップをお盆に乗せたマリーが、髪をうねうねわななかせながら声をあげる。
恥ずかしいようでとても焦ったように、それは違うの、海が見たいとかそういうのじゃなくてね、偶然見つけたから、と弁明を口にする。
それが墓穴を掘っていることだと気付かずあんまりにも必死に言うから、俺は二の句を告げなくなってとりあえず、頭をぽんぽんと優しく撫でた。
数秒か続けると、落ち着いてきたようで彼女の髪はふわふわと元に戻る。


「マリーは海、行ったことないんすか?」


「だって、ここから出たことないんだもん……しょうがないんだもん……」


この質問はどうやら不味かったようだ。
不貞腐れたように分かりやすく頬を膨らませた彼女は机に盆を乗せると俺の手から写真立てを奪った。
あ、と思わず名残惜しいような声が漏れる。
じっとりとした目付きはそのままに、しばらくその絵葉書を大切そうに見ていたかと思えば、後から小さな小さな問い掛けがひとつ。


「セトは海、見たことあるの?」


口角をゆっくり上げてしまったのは不可抗力だと言いたい。
お姉ちゃんがまだいたころ、今だって幸せだけど、幸せでいっぱいだった、あの幼い日。
その記憶の中にはみんなで海に行ったものもあって。
楽しかったころを思い出すとその日に戻ることができたようで優しい気持ちになれる。


「あるっすよ。こんな南の島みたいな海じゃなくて普通の海水浴場だったんで、ハイビスカスが咲いていたりすることはなかったっすけどね。もっと人もいたし」


「ふぇっ……人が、いっぱい……」


それだけで怖いらしい、彼女の目には涙が瞬間的に溜まる。
当時の自分もこんなだったのだろうか。
過去を振り返り、みんなに少しばかり申し訳なくなりながら急いで付け足した。


「遊泳はできなくても、浜辺を歩くくらいなら、人がいないところでもできるから安心っすよ!?
そうなると、こんな綺麗な海からはますます離れちゃうんすけどね」


日本の浜辺はそこまで綺麗なものではないから。
やはり海外のものと比べてしまってはいけない。
日本の海のよさはもっと別のところにあると思う。
興味がそれたようで彼女はこてん、と首を横に傾げた。


「離れちゃうの?」


「んー……。マリー、テトラポッドって知ってるっすか?」


「てとら、ぽっど?聞いたことない。何か可愛いね」


テトラポッドは四面体の頂点をそれぞれの先端とする四本の足を持つコンクリートの塊だ。
防波堤や海岸堤防を保護する役割のあるそれはもちろん、遊泳禁止区域にたくさんあるわけで。


「コンクリートなんすけど、それがたくさんあるんすよ。この絵葉書にはないから、雰囲気も違ってきちゃうし」


マリーの海のイメージとかけ離れちゃう。
言ってもしかし彼女は目をぱちぱち開閉させるのみで、特にこれといって何を思ったわけでもなさそうだ。
ええっとね、セト。
前置きを気まずそうにして。


「イメージが壊れても、私は見てみたいの。あのね、今度、私が外に怖がらずに出られるようになったら、」


「もちろんっすよ」


言い終える前に細い体を抱き締めた。
華奢な彼女はとても驚いたようだけど、拘束を解いてあげる気にはなれない。
初めて、外に出たときの仮定の話を自分からしてくれた。
気まずそうにだけど、俺を頼ってくれた。
俺は誰かの「勇気」になれたんだなと思えたら、嬉しくて。
約束だよ、そう言って絡めた小指が何だかちょっと熱かったことを、鮮明に覚えている。
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