TOY

□視線
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不慣れな、契約したばかりの携帯での通話を終えた僕はまず外に出て、アヤノさんに断って、楯山さんち庭に停めてある自転車にまたがった。
誰のものだったのだろう、赤色の塗装がまだ綺麗なままだ。
ギアが付いていたので少しペダルを重くさせて、目を「凝らし」ながら漕いでいく。
自分でも何故モモにどうにかするだなんて言ってしまったのか分からなくて、ムカついた。
ヒヨリにも何かあったの、と聞かれたのに何でもないと言ってしまったし。
ただ、自転車を漕ぎながらモモのことを考える。

おじさんみたいな思考回路で、言ってることもおじさんくさいけど、女だからおばさん、と僕は呼んでいる。
実はヒヨリがこっちに来たいと思った原因である人気アイドルだったらしいが、今のところ、アイドルらしかったところは見られたためしがない。
味覚音痴で一緒にご飯を食べるとなると悟りを開く必要性に刈られる。
信じられない食材の融合技は、とても平気な顔で見られたものじゃない。
そうだ、一応はアイドルらしく歌が上手い。
ついでにダンスもなかなか上手い。
カラオケに行ったわけでもないしちゃんと歌っているところを見たことはないが、聞く限り鼻歌でもとても上手い。


「あっちだ……!」


凝らしていたら、ふっと先にモモの姿が見えた。
この先にいるのだろうと思うと、自然と漕ぐ足に力が入る。
サドルを握る手にも力がこもる。
カーブを曲がって、しゃこしゃこ音をたてながら行くと彼女はへろへろになりながらも迫り来る大勢の人から逃げているところだった。

そういえば聞く所によるとおばさんはかなり足が速いらしい。
それでこれまではファンを巻いてきたのだとか。
今日逃げ切れなかったのはきっと、毎日のように外を歩けば如月モモに遭遇できたのに、おばさんが目のコントロールを覚えたばっかりに遭遇率が激減したからだろう。
ファンの熱意というものを、なめてはいけない。


「も……、おばさん!」


名前を呼びそうになって、何となく呼ぶのはためらわれていつものようにそう呼んだ。
真正面から現れた僕にモモはとても驚いたようだったけれど、すぐにへにゃりと顔を崩す。
余裕ぶりたいのか笑うような、安心したのか泣きそうな顔は、アイドルのそれとは思えない。
背後のファンにその顔が見られなくて本当によかったね。


「乗って!」


「ええ!?う、うん……?」


Uターンして彼女の隣で自転車を止めてすぐ言えば、しぶしぶといった風にモモは荷台に座った。
もちろん、この自転車は二人乗り用じゃない。
違反になるからいけないのだけれど、でも、逃げるためにはもう手段を選んでいられない!


「行くよ、ちゃんと掴まって」


「了解っ!」


腕が、僕のお腹に回された。
次いで、モモがむぎゅっとくっついてきて僕と密着する感覚。
場違いだとは思いながらも、こんなことしてる場合じゃないんだけれど、かああっと頬に血が昇る。
モモは大して意識していないようで、ちゃんと掴まったよ!なんてわざわざ報告した。
僕ばっかりが焦って馬鹿みたいだ。
じゃあ行くから、ぶっきらぼうに声をかけて、体重の分も重くなったペダルを漕ぐ。
やはり亀の歩みのような速度だが、しかし諦めるわけにはいかない。
どうにかすると言ったのだ。
助けてと、頼まれたのだ。
やらなければいけない。絶対に。


「私、降りた方がいい?」


「いいからそのまま、掴まってて……!」


だってあと少しで形勢逆転の大チャンスだから。
徐々に慣れてきて、どうにか追っ手からギリギリの距離を保つことに成功する。
このままいくことができたら、僕らは。
歯を食いしばって一生懸命ペダルを踏み込んだ。
モモが心配そうに僕を見ている。
視界が開けて、想定通りにたどり着けた。
安心したが、二人乗りの状態でどうなるか保証はないので、やはり体は緊張で強張る。


「ひ、びや……くん?」


「しっかり掴まっててよ!」


とたん、前のめりぎみに傾く体。
ぎゅんぎゅんスピードを上げて耳元で風がうなる。
坂道は思っていたよりずっと急で、今更ながら大丈夫だろうかと心配になった。
人気アイドルがファンの目の前で大ケガを負うだなんて、ファンに殺される。
だけどきゅっと抱きついたままのモモが、僕の目を見てありがとうと楽しそうに笑って逃走劇に加担させてくれるから、僕はまあ、これでもよかったかな、なんて思ってしまうのだった。
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