TOY

□つまらないと嘯く
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(コノ←ヒヨ)



じわり、じんわりと汗をかいていくのを感じる。
多少は風もあるのだけれど湿っぽくて不快だ。
思わず暑さに眉を寄せながら腕時計に目を遣った。
時刻は午後七時を回るところ。
まだ日が射していて辺りはぼんやりとした橙に包まれている。
ずいぶんと夏めいてきたなと思ってから、いやもう夏なのかと思い直した。
あまりの暑さに額にかかった髪を払い、空を見る。
ぱちぱちと数度瞬いて明かりを点す天井の先、今日も雲ひとつなかった青空。
あの、ヒビヤと繰り返した日々も毎日晴れていたなあと何となく薄れてしまった記憶を掘り返す。
その中で一度だけ、お天気雨が降ったときにあなたは私たちの前に来てくれた。
優しくて、カッコよくて、あなたは何度だって届かないと分かっても手を伸ばしてくれた。


「……大きかった、よなあ」


もうあなたはいないから私の記憶のなかにしかないあなたの手。
触れたことのないそれは、きっと今の私の手よりも大きかった。
胸の前で握って、少し目をつむる。
コノハさん。コノハ、さん。
私は今も、今日この時この瞬間もあなたのお陰で生きて過ごせている。
でもあなたに生きてほしかっただなんて、不可能だと知りながら思ってしまう私は馬鹿なのかしら。
あなたのこと、誰も彼もきちんと知る人はいないの。
遥さんでさえ、あなたのことを詳しくは分からないの。
だけど少しでも理解したくて、私はあなたのすごした都会を進学先にした。
あなたが似合っていると言ってくれた髪型で、もう小さい子じゃないのだし恥ずかしい気もするけれどあの時のままの結び方で、私は迎えの車を待っている。


「…………あ、」


前方を何気なく見ていたら、ブランドもののワンピースを着たモモちゃんの広告があった。
彼女は今もアイドルで、前と同じくらいの人気を保持している。
でも一応はファンに追いかけられることも減ったのだとか。この目との付き合いも結構長いことになるしと、そう笑っていたのを思い出す。
モモちゃんのことが好きだった。
あんなに可愛い子はいないとさお思って、彼女が誰より好きだと思っていた。
だけどコノハさんに出会って、彼に恋をしてしまったら。
彼女への想いは結局、アイドルに向けるそれでしかなかったと気付かされた。
私は一目見たときから、彼女よりも彼を好きだった。


「でも、モモちゃんが好きだったら、こんな気持ちには」


暑くて息がしづらい。
荒い息を吐けども世間は変わらず、夏祭りでもあったのか浴衣姿の小さな子供たちがきゃいきゃい騒いでいる。
あんなころが私にもあったかしら。
何だか、一度たりともなかった気がする。
私はいつだって斜めに構えて、どうせ世界はこんなものだと思っていた。
自分の思い通りにならないことなんて、そんなにないんだ、って。
そんなことあるはずもないのにね。
コノハさんは遥さんの願いの結晶ともいえる存在で、イレギュラーなものだった。
だから遥さんがいるのにコノハさんが生き続けるのは不可能で、同じように、カゲロウデイズに残された蛇を持たない私たちはもう生き還るのは不可能だった。
命の代償なんてないなんてのは嘘だ。
命の代償は、命をもってまかなえる。
よってコノハさんは、よりによってコノハさんは、失われる命を私のために使ってくれた。
私はあなたが好きだったのに、想いさえ受けとることのないまま、入れ替わるように。


「…………暑いなあ」


もくもくと入道雲が形成されていた。
大好きだったの。
今も、大好きなの。
引きずる女なんて馬鹿みたい、でも、まだ馬鹿でいたい。
彼が好きなままの私でいたい。
そうじゃなきゃ、救ってもらえたのにのうのうと生きて、ただ死ぬだなんて許されたものじゃないじゃない。
そんなこと、私が私を許せないじゃない。
あの日、彼が私の名前を呼んでくれたことを不意に思い出した。
覚えることが苦手な彼は、何度時間をかけて言ったって私の名前もすぐ忘れてしまっていたのに、繰り返した日々の中では彼はすぐに私の名前を呼んでくれた。
今も、耳の奥に彼の声が聞こえる気がする。
そっと片手で耳を押さえると、みんみんと鳴く蝉の声も同時に聞こえた。


「蝉の声……?」


今年の夏はまだ聞いていなかったように思う。
もう土から出てきていたのだろうか。
辺りを見渡すも、目星のものは見当たらない。
この蝉の鳴き声も私の、あの夏の思い出の一部なのだろうか。
ああ、だから私はまだ夏が来たと思えなかったのかもしれない。
妙に納得しながら、けれどもう一度蝉はいないか、辺りを見た。


「日和お嬢様」


迎えの車が来たようだ。
名前を呼ばれて車に乗り込む。
冷房の効いた車内から最後に、しつこいけれど蝉を探した。
発車するのも名残惜しい気がしてしまう。
通常であったら、コノハさんは蝉を見たらどんなことを言っただろう。
トリケラトプスをカッコいいというのは分かるけど、蝉は本人の感想を聞かなければ一生、分からない気がした。
あれをカッコいいと見るか見ないか、コノハさんはどっちなのだろうな。
車はそのまま順調に進み帰路につく。
はあ、見つけられなかった想いを込めて息を吐くけども、しかし私は特に感傷的になることもなかった。
私が車を待っていたロータリーなそばの木の下に、鳴き疲れた蝉の体が転がっているなんてことに、私はきっとこれから先も気付きはしない。


 つまらないと嘯く


















お題を亡霊様からお借りしました。
蝉の鳴き声は聞くだけで暑いような気がして嫌いですが、あれがなきゃ、ああ今年も夏が来たんだなと思えない気がします。
このヒヨリはそんな夏を象徴する蝉の声を、聞こえているのに聞こえないフリをし続けています。
コノハ以外の人を好きになっても、好きではないフリをし続けて、いつかは自分でも嘘を嘘だと分からなくなってしまって。
きっとこのヒヨリがもう一度蝉の声を聞くことはないでしょう。

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