TOY
□微糖
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(シンアヤ)
登下校に利用する通学路に、木が大きく歩道にはみだしている場所がある。
その木にはたくさんの蝉の脱け殻が付くようなのだ。
何故そこに、わざわざ歩道にはみだした、地面から離れている不安定な場所に蝉たちが殻を残すのか理由は分からない。
分からないけれど毎年大盛況で、その夏も蝉の脱け殻はいつの間にかたくさん、木にくっついていた。
アヤノはそこの脱け殻を眺めるのがとても好きだ。
ただの殻を綺麗だと彼女はいつも言う。
俺には到底理解できそうにない。
「いつまで見てんだよ。遅刻するぞ」
待ち合わせをしているわけではないのだが、彼女は毎日俺を通学路で待っていた。
それは曲がり角でだったり、街灯の下だったり、公園の前だったり。
夏になるとこの木の下がもっぱら定位置のようだったが。
熱心に見いる彼女は放っておくとこのまま何時間だって蝉を見続ける。
俺が来たことにも気付かずに。
だからすぐに声をかけると、彼女は嬉しそうにこっちを向いた。
「おはよう、シンタロー。ねえ見て、脱け殻がひとつ、増えたんだよ!」
「……それはよかったな」
「うん!」
普通の女子高生が目を輝かせるようなことではないような気もしたが、当たり障りのないように返した。
この方がアヤノらしいし、別に構わないし。
彼女は最後にもう一度、名残惜しそうに脱け殻に視線をやって、数秒見てから俺の方に駆け寄った。
そのまま二人で学校に向かう。
「お前、なんでそんなに脱け殻が好きなわけ?」
「うーん。なんで、って言われても、なあ……」
アヤノはそんなことを聞かれるとは思いもしなかった風に、目をぱちぱち瞬きさせた。
どうやら理由は特になかったようで、くにゃりと首をかしげ真剣に悩んでいる。
そこまでしなくても無いなら無いでいいのにと、口を挟もうとしたところで。
「あ!私はお前、って名前じゃないから言わないよーだ!」
「…………」
「まさか私の名前、忘れちゃった?それは悲しいな……でもちゃんともう一回自己紹介すれば、次は忘れないよね。きっとそう!」
唐突な高いテンションに思わず押し黙ると壮絶な勘違いが道中に響いた。
忘れるはずもないというのに。
ポジティブなのかネガティブなのか分からない。
「えーっと、シンタロー?」
「アホ。忘れるわけないだろ」
「だ、だってシンタロー、私のこといっつもお前、とかおい、とかって言って名前で呼ばないから」
むくれられて、膨らんだ頬に両側から手を押し当てて、ぷしゅーと空気を抜けたらどれだけいいか。
スラックスに突っ込んだままの手のひらを軽く伸ばして気を落ち着かせる。
じゃあ、呼んでよ。
そうゆっくり彼女の口が動いたのにとんでもなく驚いた。
そう言われるとは予想だにしていなかった。
甘んじていたともいう。
どくどくと急に、心臓が強く鼓動を刻んでいるのを感じた。
口が重くて、言葉が、カラカラの口からじゃ上手く発せられない。
「あ、あや、の」
掠れた声は自分でも十二分に情けないものとして聞こえた。
何だか恥ずかしい。
今のは無し、と何が無しなのか自分でも全くもって意味不明だがとりつくろうと、そう言おうと思った。
思ったのだが、彼女の顔を見て、なぜだか顔を真っ赤にしているものだから言葉に詰まる。
「ちょっ……大丈夫か?熱中症?いつからあの脱け殻、見てたんだよ」
「ち、違うよ!だいじょうぶ、だいじょうぶ」
慌てたように言って、アヤノはマフラーを少し持ち上げてパタパタとあおいだ。
やはり暑いらしい。
そんな顔色になるくらいならもうはずせばいいのに。
あきれながらも何を言うわけでもなく見過ごす。
彼女はふう、と息をつくとハッとしたように顔をあげた。
「もうこんな時間!?急がなきゃ、遅刻しちゃう!」
「ったく……走るぞ」
「え、待ってよ、シンタロー!」
情けない声が背中にかかる。
彼女と汗だくになりながらも駆ける毎朝は、何だかとても、楽しいものだったような気がした。