TOY

□痕跡
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(シンアヤ)


私は確かにここにいたはずなんだ。
私は要領と頭の悪さは人並み以下ではあったもののそこそこ平凡な人生を送っていたつもりだった。
お母さんが死んでしまって、お父さんがおかしくなって、私がひとりぼっちの作戦を決行して。
そうして戻ってこられた時には、世界は信じられないくらいに進んでいた。
私の在籍した学校も今ではすっかり変わってしまっていた。
たかが二年、されど二年というけれど。
そのくらいのことならまだいい、一番ショックだったのは、私の作戦が自殺として受理されていて、私の戸籍が失われていたことだった。
戸籍がなければ学校に通い直すことなんてできない。
バイトも就職もできない。保険が下りないから病院にもいけない。
何も、できない。
私はすることもなくただただボーッと風に揺れる木々の動きをぼんやりと見る。
時間の流れはこんなにもゆっくりだ。
ゆっくりなのに、なのにどうして。
ぱちぱちと慌てて速い瞬きを繰り返した。
浮かんでしまった涙を隠すために。
私はもう、涙は隠すものだと条件反射的に記憶してしまっていた。


「暑くないのか?」


不意に、声がかかった。
木の葉から視線を反らすと少し先の、ギリギリ日陰に入る距離にシンタローがいた。
汗をかきながら、暑いと言いながら、しかし彼は今日も赤色のジャージを着ている。
私はもう、あんなにも毎日意地になってつけていたマフラーもはずしてしまったというのに。


「シンタローの方が暑そう。ちゃんと水分補給、しっかりしなよ?」


「あちー」


私の言葉を聞いているのかいないのか、彼は相変わらずだ。
変わらない。
変わった世界の中、彼はまったく変わっていないように見える。
まあ、そんなことはないのだけれど。
前よりずっと、人のことを見るようになった。
それに、人のことを考えるようになった。
それを成長と言わずなんと言うのか。
はあ、陰気臭いため息が口から出た。
なんとなく驚く。
ため息をつくのもずいぶんと久々な気がしたからだ。
それもそうか、カゲロウデイズの中では私はそんなことをするわけにもいかず、時間が惜しくて。


「もうすぐ今年の夏も終わるな」


唐突に流れをぶったぎって、手で傘を作りながら空を見ていたシンタローはつぶやいた。
もしかしたら独り言だったのかもしれない。
そうだね、と答えようとして、しかし言葉は吐き出せなかった。
この夏、私がここに帰ってこられた。
だけどこの夏、私は何ができただろう。
私に何ができただろう。
私は、何をしていただろう。
彼みたいに、彼以外にもみんなみたいに、私はどこか成長できただろうか。
停滞したまま、私は何をしているんだろうか。


「秋から……アヤノは、どうするつもりだ?」


「わっかんない。決めてないよ」


憂鬱な気分になる。
何もできない身なのだから仕方ないじゃないかと、いいわけのように思った。
彼は、まあ焦らなくてもいいけど、と前置きをして言う。


「俺は通信制の高校に行こうと思う」


「え?」


高校に。
通信制となるとPCやテレビで授業を見て単位取得を目指すんだっけ?
よく覚えていないけれど、とりあえずひたすらに驚いた。
彼が学校に。
学校は、私も、行きたい。


「通信制だから通う、ってのはおかしいかもしれないけどな。ちゃんと高卒の資格取って、一応は大学にも行こうと思ってる」


大学なんて、私には夢のまた夢だと思っていた。
大学生、そんな人たちはもっとずっと大人びた、しっかりした人たちなんだと思っていた。
けれど、私たちは今年で18、19歳だ。
順当にいけば大学生だった年。


「シンタローなら絶対になれるよ。頭いいもん」


「アヤノ」


逃げるなと、言外に言われたようだった。
思わず首をすくめる。
お茶らけてふざけて言った私が悪いのだから仕方ないのだけれど。
彼は私の目を、正面からまっすぐ見つめていた。
ただでさえ身長差からどうしたって見下ろされることになるのに、いま私はベンチに腰かけているから余計に見下ろされている体を強く感じる。
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