TOY

□君が初めて凶器を手に取った日の夢を見るよ
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(ブルー)


ハッとして目を覚ましたけれど、辺りにはただ暗くて刺すように冷たい空気が漂うだけだった。
どくどくと拍動する心臓が耳を突く。
呼吸は荒く、こんなにも悲しい気持ちなのはなぜだろうか。
私は布団を剥いで立ち上がった。
凍るような冷気を帯びたフローリングの床をひたり、ひたり、と鳴らしながら歩く。
洗面所の鏡を覗くと疲弊した私の顔が見えた。
頬は涙に濡れている。どうして泣いていたかも分からないのに。
蛇口をきゅ、とひねって水を出し、緩やかな流れの中に手を差し入れる。
冷たさに、ノイズがかかったように不鮮明だった脳がクリアにされた気がする。
顔を洗うと幾分か落ち着いた。
ふう、と息を吐き出してまたひたり、ひたり、と廊下を歩く。
再びベッドに戻って時計を確認すると、夜明けまでまだ三時間はあるだろう時間帯だった。
こんなにも目が冴えてしまっては、眠らなければ体が辛くなると分かってはいるけれど眠れそうにない。
私ははだしにスリッパを履いてリビングに向かった。



眠れないときには甘いホットミルクを飲むのが定番だ。
一体どこでそんな「普通の定番」を私が覚えたのかは分からないが、幼い頃から私はそう思っている。
小振りの鍋にコップ一杯分の牛乳を入れて弱火にかける。
ぼんやりと記憶によみがえったのは、あの男から逃げたばかりの幼少期の頃のものだった。
この、ひんやりというにはいささか寒すぎるくらいの空気感も、静けさも、眠れなくなってしまった状況も、あの頃と同じ。
ただひとつ、違うことといえば目を覚ましたシルバーが私のそばにいてくれないことだ。

(そうだ、シルバー)

姉さん。舌足らずだったシルバーが脳裏に浮かんだ。
私が寝付けなかったり夜中に目を覚ましたりすると、必ずシルバーも起きて私のそばにいてくれた。
そうしてある日、彼はハチミツ入りの甘いホットミルクをくれた。
これどうしたの、と言うと内緒、とはぐらかして教えてくれなかったっけ。
そんなシルバーももう一人でしっかりやっている。
賑やかな信頼できる仲間ができて、あの頃にとらわれずにすむようになった。とてもいいことだと思う。
そろそろ温かくなっただろう、火を止めてコップに牛乳を注ぐ。
とろりとハチミツを少し垂らしてスプーンでかき混ぜれば、ふんわりと甘い香りが広がった。

(シルバーは眠れないとき、お母さんにこうやって甘いホットミルクを作ってもらったのかしら)

くるくるとスプーンをもてあそんでいたらふとした疑問が浮かんだ。午後に会ったら聞いてみようか。
その前にちゃんと、お誕生日おめでとうと伝えたいけれど。
ひとくち含むと全身がぽかぽか温まるようだと思った。
コップを持つ指先は現に、ちりちりとしていて熱いくらい。
ふう、と息をはくと体の力がいい具合に抜けた。
これなら眠れそうだ。自然とあくびが出て、洗い物は後回しにして寝室に戻る。
扉を閉めてベッドに潜り込みまどろむ思考の中で、そういえばどうして目を覚ましたんだっけ、なんて思った。
涙するほどに悲しかったのにすぐに忘れるなんて苦笑する他ない。

(なんだっけ……そう、夢の中でも、シルバーが……)

ダメだ、やってきた眠気が考えをうやむやにする。
まあいいや、そう思うと同時に私は眠りの中に沈んだ。










「どうしたの、姉さん」

まだ幼いシルバーが私を呼ぶ。
何でもないわ、と言うと彼は困ったように立ち尽くした。
せっかく手に入れた明日の朝食以降のご飯を、ポッポにとられたなんて言えるはずがなかった。
それにいま寝たら、あのポッポが夢に出てくるに決まっているから眠れない。
私のせいで明日の昼食がなしになってしまうかもしれないことを、きっとシルバーも分かっていただろう。
でもシルバーは何も言わないでいて、しばらくすると黙って部屋を出ていった。少し寂しい気持ちになった。
そんなの、身勝手だったけれど。

「姉さん、これ」

再び部屋に戻ってきた時にシルバーが手にしていたのは、真新しいマグカップだった。
ゆらゆらと湯気が上っていて、手渡されるがままにそれを受け取ってしまうが内心、訳がわからなくて目をまわす。
こんなものどうしたのだろう、なんて、答えはひとつしかないけれどその答えとシルバーが結び付かない。
一目でホットミルクだと分かるが、朝食用に得たものの中に牛乳なんてないし、こんなものを手に入れることができるお金なんてない。
これ、どうしたのと問う声には隠しきれない不安がにじんでいた。

「内緒。眠れないときはこれを飲むのが、いいんだって」

だから飲んで、と続けられる。
分かったけれど、分かりたくなかった。
だって彼は、彼にはこんなにも悪いことをさせたくはなかったのだ。
だけれど不思議と、罪悪感よりも先にこの子はなんて優しくていい子なんだろうと思った。
私なんかとは全然ちがう。比べ物にならない。
思いきって飲み込むと温かな中に確実な甘味が口の中いっぱいに広がっていった。
その中に懐かしい味がした。おやつのホットケーキの味が舌によみがえった気がする。
間違いようのない甘さ。

「……あったかい」
「よかった」

私の言葉にシルバーは安心したように破顔した。
私は何も言えなくて、彼を思いっきり抱き締めた。
やっぱり慣れないようでシルバーは身を固くさせたけれど、ゆっくり力を抜いていっておずおずと腕を私の背中に回してくれた。

「姉さん、俺も手伝うから。手伝えるから、そんなに無理しないで」

無理じゃない、無理なんてことはないんだよ、あなたが手を汚すことほど嫌なことはないんだよ。
心臓をぐっと、握りこまれた気がした。
危険な目に遭わせたくない。ひもじい思いをさせたくない。
でも、私は無力で何もできない。
シルバーは笑っている。
どうして私たち、普通に幸せに暮らせないんだろう。
たまらなくなってまた抱き締めると、手袋が一部裂かれ、シルバーが手から血を流していることにようやっと気付いた。
どうしたの、と言いかけたけれどこのホットミルク以外に理由があるはずがない。

「ごめんね、シルバー」

遅すぎるけれど謝って優しく傷に手を当てるとシルバーはゆるく首を振った。
謝らないでと言うような態度。俺が勝手にしたことだから、と明るく告げるとシルバーは続けた。

「だから、姉さんは笑っていてよ」

私だって、あんたが笑ってさえくれればそれで十分よ。
そう返せたらよかったのだけれど、私はやっぱり何も言えなかった。
だって優しい彼は、私のせいで私のために手を汚すことをいとわない考え方をするようになっている。
綺麗な彼がこんな風になるなんて、あの男に捕らえられたところがまず運の尽きで仕方なかったのかも知れないけれど、私にしてみればそれはある意味、身を切られるよりもよっぽど辛いことだった。
ぽたり、流れた一筋の涙はシルバーの背中に落ちる。
私は彼に気づかれることがないように笑顔を見せた。


 君が初めて凶器を手に取った日の夢を見るよ

 title by:告別
















シルバーの誕生祝いにと思ったのにどうしてこうなった感がすごい。
凶器というか何というか、また違う気もしますが。
これでまた眠れないときにはハチミツ入りのホットミルクを飲むといいと教えたのがヤナギだったりしたら面白いと思う。
こんなに長くなるなんて思わなかった……。

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