いろいろ

□ぱしゃり、まっすぐに落ちる
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(ブラ→ホワ)


仕事の依頼があったのはずいぶん前のことだったと言う。
その時にはそんなことを言っていなかったから絶対どこかで誰かがやった気になっていたに違いないわと彼女は悔しそうにつぶやいた。
どうするんだと聞いてみる。
俺はどこからどう見たって男だし華奢でもないから役に立てない。
つまりは彼女次第の話なわけで、まあ、答えは聞かなくとも最初から分かってはいるものだったのだけれど。

「私がやっても問題ありませんか?」

俺に向けた言葉ではなかった。
唐突な声に撮影スタッフやプロデューサーがこちらを向いて、せきを切ったかのようにざわめきを大きくさせる。
できるのかと見るからに偉そうなプロデューサーっぽい人は社長に問うた。
やってみせますと彼女は言いきる。お願いします、どうしてもやらせてもらいたいんです。
そう頭を下げると意地の悪い目も向けられたけれど彼女のまっすぐな思いが、心に触れるようだった。
社長が頭を下げているのに社員が下げないわけがなく俺も頭を下げる。お願いします!
事前に準備をしたわけでも練習したことがあったわけでもなかったけれど息は合って、ユニゾン。
時間もないし今はそれでやってみよう、重い息を吐きながらプロデューサーは折れてくれた。
ありがとうございます、の声も重なったことには重なったけれど、さっきとは込められた思いは全然違うものとなった。
やっとこれで、撮影が始まる。

 *

俺もよくは知らないのだがドラマのワンシーンの撮影らしい、手渡された衣装に社長の顔が少し曇る。
着替えられそうな場所といえばこの先に見える公衆トイレか撮影スタッフたちの乗ってきたボックスカーくらい。
一応、選択しに入れるかどうかは微妙だがそういえばテントもあるけれど。
彼女はトイレを選んだようで、ちょっとの間だけお願いねと俺に言葉を添えて行ってしまった。
ここにいる人たちは俺が役立たずだということを分かってくれているみたいで、幸いなことに俺は何もせずに済みそうだ。
邪魔にならないように端に寄る。

「ごめんね、こんなことになっちゃって」

ボーッとしていた俺に話し掛けてきたのは、社長に仕事を依頼したという男性だった。
その場に居合わせる人も、プロデューサーだとか社長に言われるがままそういうものなのかと聞いていただけなので彼がどんな立ち位置にいるのか分からない。
撮影スタッフに指示を飛ばしているからそれなりの地位にはあるのだろうけれど、いや、そんなことはおいておくとして。

「助かったよ、ここで相手役の女優さんがいなかったら何もできなくなってしまっていたからね……。ありがとう」
「いえ。あの、社長に直接言ってもらえますか?演じるのは俺じゃなくて社長ですから」
「ああ……それもそうだね」

男性は困ったように笑った。
気が弱そうな感じがして、もしかしたらこの人も、とばっちりを受けただけできちんと仕事をこなしていたのではないかと思った。
男性に立ち去る気配はなく、せっかくなので俺もまた口を開くことにした。
このドラマが何なのか詳しく知らないことを悟られないように言葉を選ぶ。

「社長は台本に目を通していますけど、素人ができるような役なんですか?」
「不安、ですか?」

いえ、気になったので。
思ったままに言うと社長さんを信頼しているんですねと言われた。
その顔には微笑を残していて俺は居心地の悪いように思えて頭を掻いた。
どうにもそんな風に言われるのは慣れていないからいけないのだ。
どうしていいのか分からない、正解も不正解もそこにはない。

「むつかしい役ではあると思います。何たって殺される主人公の妹役ですからね」
「………………死ぬ役なんですか」
「橋に突き落とされたミネズミを追って橋から落ちてしまうんです。でも彼女の死によって犯人像が明らかになってきますから、キーパーソンの一人なんですよ」
「はあ、」

説明してもらったというのに分かったような分からないような声しか返せなかった。
そこでミネズミが登場するんだなと思った。
社長がたとえ演技だとしても死ぬなんて、何だか嘘みたいな気がした。
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