いろいろ

□浮かばれない、嘘
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(コノヒヨ)


この世界は理不尽で不条理でどうしようもないところばかりを持ちながら良いものを、例えば美しさを、孕んでいるからたちが悪い。
そんなものを少しでも持っているせいでこの世界も悪くないものなんじゃないだろうかだとか、希望とかを私たちは掲げてしまうのだ。
それは決して、悪いこととは言われないことだけれど。

閉じていた目を開くとそこは、もう何度も繰り返した世界で何度見たかも分からないリビングの風景だった。
私は椅子に座っていて、向かいにはコノハさんが座っている。
何故だかヒビヤはいなくて、でも私も彼も特にはそのことに気にも留めないから我ながらひどいなと思った。
私はぱちぱちと数度まばたきをして穏やかな時間の流れるこの場所に慣れるのを待つ。
ついでに出てきそうになった涙も慌ててぬぐってこらえた。
泣いちゃったってどうにもならないのだ、世界がこうである限り。世界の合理が変わらない限り。
そんな思いも、もろもろまとめて込めて、はあ、と溜め息をつくとうとうとしていた彼は漕いでいた舟をピタリと止めてゆっくりと顔を上げた。
気を抜けば一瞬で心地いい眠りの中に落ちそうな瞳に私が映る。

「ヒヨリ、どうしたの……?」

やっぱり眠そうな声は心配してくれているのだろうけれどのんびりしている。
彼の場合はそうでなくとも日頃からこんな感じだけれど。
私がかぶりを振って、何でもないですよと言うと彼は不思議そうに首をかしげた。
私がやればあざといと言われそうなほどのそれに、心の中で過去の私が歓声を上げる。
でも今の私はそれに苦笑することしかしなかった。
好きになった、私は彼が大好きだった、彼は私を救ってくれて、そう、私の恋情はあの一夏のうちにそこそこ落ち着いたのだった。
落ち着いたといっても好きなものは好きなままのわけで、何が変わったかといえば平生を装えるようになったくらいなのだけれど、まあそれだけでも私にしたら、大きな違いだった。

「でも、ヒヨリ、」
「本当に何でもないんです。それよりコノハさん、一緒に外に行きませんか?」
「外?でも、」
「お願いします。ちょっとだけでいいですから」

強引にそう言って立ち上がって手をとると立ち上がってくれる。
私なんかの力、あなたは払い除けるのなんて簡単だろうに。
引っ張るように玄関まで誘導して靴を履くことさえ急かす。彼は戸惑ったようにちょっと待って、と繰り返した。
ごめんなさい、待ちたいのは私も山々だけれど、それじゃあ間に合わないの。

「どこに行くの?」
「コノハさんはどこに行きたいですか?」
「行きたい場所が、あるんじゃないの?」
「コノハさんの行きたい場所に私は行きたいです」

困惑した顔でうーんとうなるコノハさん。
困らせたいわけじゃないど、こうやって連れ出しでもしないと彼は自分の行きたい場所なんて言ってくれない。
今日こそあなたの行きたいと言う場所に行きたいの。今日こそ。

「じゃあ噴水が、見たい」
「噴水ですね。確か……こっちです」

彼の手を引いて走り出す。
彼は私の背後から私に付いてきてくれていて、彼に顔が見えないのをいいことに私は思いっきり破顔した。
だって、ニヤけるのだってしょうがないじゃない。
彼と彼の行きたい場所に行って、そして、今日こそ告げるのだ。今日こそは。

「ぁ、」

もうすぐ目的地だというのに、私の眼前には恐怖の対象へと成り代わった横断歩道が、そこにはあった。
足がすくんでしまう、こんなんじゃ日常生活に支障をおかすレベルじゃないかと自分を叱咤するも、手が、体が震えるのを止めることができない。
怖い、こんなところで終わらせるなんて、今日こそと思ったのに。
恐怖心に悔しさが対抗するもどちらが優勢で劣勢かなんて分かりきっている。
思わず目を背けて下を向くとコノハさんが私の顔を覗きこんでくれた。
長い足を折ってくれていて、こんな時だけどきゅうと心が揺れて、やっぱり彼が好きだと思った。

「ヒヨリ、どうしたの……?大丈夫?」
「何でもないです、何でもないですから、コノハさん」

先に進まなければ。
彼だってこんなことは望んでいないはずなのだ、だから私が頑張らなければ。
私のせいで彼は毎日さまよわなければならないのだから。
くっと力を込めて手を握る。血が出たって何したって構わない。
傷つかないように守られて、甘んじてそれを受け入れ自分でも守ってきたけれど、もう構わないんだ。
最初の一歩を踏み出すと意外なことにあとは簡単で、青信号を私たち二人は手を繋いで渡る。何だか道路標識のようだ。
反対側の世界はそんなに代わり映えのない場所のはずだったけれど、私の目には新鮮に映った。
渡りたくても渡ることのできなかった道の先。

「コノハさん」

噴水の前まで来た。
人気がないのはご都合主義の世界だから当たり前のことで、タイミングよく水が吹き出すのを止めて辺りを静まり返らせるのも当然のことだった。
コノハさんは私の方を向いて、首をかしげて応えてくれる。
やっと言えるのは嬉しかったけど、寂しくもあった。
だってそれは、これが「終わり」を迎えたことになることだから。

「大好き。大好きです。私、コノハさんが大好きです」

一生懸命に張った声は慣れないことをするから裏返ったり変になって聞き苦しかった。
でもコノハさんは穏やかに笑んでくれた。
それを馬鹿にするようなことはしなかった。

「僕も、好き。ありがとう、ヒヨリ」

好きのベクトルがきっと違うそれだった。
でもきれいな、とても素敵なエンディングだった。
コノハさんの笑顔が涙ににじんで視界がぼやける。
ありがとう、ありがとうとうわ言のように彼に言い続けていると、頭を撫でてくれたような、そんな気がした。












「…………、」

抜けきらない眠気と一緒に目を開くと薄暗い室内の天井が見えた。
間違ってもそれは夏に見たそれではなく自室のもので、私は息を吐きながらベッドを抜け出した。

「またダメ、だったのかな」

まるであの頃のように呟く。
ロックを解除した端末の画面に彼の姿はない。
そう、これが現実。彼はいなくて私は生きている。
私は彼のためにも幸せに長生きしなくてはならないはずで、その思いを胸に、念頭にずっとおいておかなくてはならないはずだ。でも。

「ごめんなさい……ごめんなさい、」

ありがとうなんて嘘なんです。
そりゃあ死にたくなんてなかったけれど、でも誰かの命の代わりに再び生を受けるなんて、あなたの命で生を得るなんて、そんなのあんまりじゃあないですか。
感謝なんてできない。私は、そんなことされるくらいならあなたに生きてほしかった。
あなたに代わりに見て、聞いて、知って、幸せに、なってほしかった。

「コノハさん」

何度だって私は夢を見続けるのだろう。彼がまだいた頃の夢を。
そうしてそこで彼に嘘をつき続けるのだ。
いい子がするような、模範解答をし続けるのだ。
こんな汚い本心なんか言えるはずない、でも、そんなだからまた私はあなたを夢に見てしまう。
ごめんなさい、と口に出した言葉は涙と一緒に足に落ちた。
穏やかに眠らせてあげることさえしなくてごめんなさい、毎晩あなたに会えることを、少なからず喜んでしまっていてごめんなさい。
ひたひたと裸足のままで部屋を歩くと彼の姿が視界の端に見えた気がした。私の目はまだ彼を探している。
振り返った先の空が、先に進まない私を嘲笑するようだ。
分かってるわよ、私がどれだけ馬鹿なことをしているかなんて。
心に重荷を抱えて、私は今日も、きれいできたない世界を生きている。


 浮かばれない、嘘

 title by:白々





















誰かの命と引き換えに生き返るなんて、それも自分の好きな人の命が代わりだったなんて、酷だよなあと思ったので。
生きているのも死んでしまうのも常に罪悪感に付きまとわれてしまいそう。
いつか他の人を好きになって、幸せになるとしてもずっとヒヨリはさいなまされるのかなあ、と思うとその辺りをとても掘り下げたい。
それがコノヒヨと言えるのかどうかは微妙ですけど……。

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