いろいろ

□水深500メートルのハグ
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(シンアヤ)


いったい俺はこれまでに何回後悔して何回誰かを傷付けて何回首を切ったのだろう。
もしかしたら記憶するこの「蛇」がいなかったころには、違ったのだろうか。
こんな風に達観したり、こんな風に悩んだり、こんな風に嘆いたりもしなかっただろうか。
そんな「もしも」を幾度も考えて幾度も打ち消してきた。
考えたって仕方のないことだと分かっていながら、どうしてこうも同じことばかりを考えてしまうのだろうか。

「……久し振りだな」
「うん。久し振り、だね」

すべてが終わった、とはいえないかもしれない。
でも、にわかには信じられないような、暑くて突飛で楽しかった夏が過ぎるとやがてゆっくり実感がわいてきた。
もう残暑も去ってしまったのだから、時間がかかりすぎなのだが。
途切れなかった輪は断ち切られた、これからは記憶なんてしていない、まっさらな明日が俺たちを迎えてくれる。
そう思えるようになって、改めて彼女と向き合うとなると何だか不思議なことに気恥ずかしさがわいてくるのだから情けない。
沈黙ばかりを守っても意味なんてないのだからとりあえず切り出すと、彼女は変わらない笑顔を浮かべた。
自分のように固くない表情は見ているこちらも穏やかな気分にさせる効力でもあるのだろうか。

「調子、どうだ」
「どうだって言われてもなあ、私は元気だけが取り柄みたいな所があるから、うーん。強いて言えば……上々!」

真剣に考えるそぶりを見せたけれど、こんな日常会話でそんなに考えられるとは思わなかったから驚いた。
楽しそうに彼女は笑って、シンタローは?と尋ねる。
彼女のように元気よく上々とは言えない引きこもり生活を続けてきてしまったせいで表情筋が痙攣する。
エネというか先輩によってばらされているらしいから無意味な黙秘かもしれないが。

「もう寒くなってきたな」
「本当。マフラーを取ったとたんにこうだなんて、皮肉だなあ」
「……ウチ来るか?」

へ、なんて間抜けな声がかえって浮いて不自然に聞こえる。
誰かがいては茶化されるから、と知り合いのいない真っ昼間の公園で逢瀬を重ねてきたのだけれど、さすがにこうも冷えてきてはどうしようもない。
なんていいわけはバカのくせに分かるらしい。
下心がないと言えば嘘にはなるが、別に寒さをしのぐだけで何をするわけでもない。
そんなつもりは断じてない、本当に。
そんなことをしたら、こいつの父親を筆頭に義理の妹と弟に何をされるか分からないというものある。

「い、いいの?でも私、手土産とか何も持ってないよ?!」
「そういうの別にいいから。俺がいいって言ってるんだからそんな挙動不審になるなよ!」

かく言う俺もおたおたしているのだから笑い種である。
ベンチから先に立ち上がって、行くぞ、と呼んでやると彼女は嬉しそうに、うんと言った。



からりとした風が走り抜けるので思わず首をすくめると彼は私を横目に見て、はあ、と息をついて見せた。
何かしてしまったかな、と思うが思い当たる節がなくて困る。
でも彼だって嫌そうな顔をしているわけじゃないから、仕方ないなあと言う風に息をついたのかもしれない。
勝手にそう解釈することにした。
学生時代もよくそのようにしていたから、たぶん間違いないはず。

「あいつらのためにヒーローとしてマフラーをしていた、ってのは聞いたけど。あいつらが結構自立したからってマフラーしなくならなくてもいいんじゃないのか?」
「えー!知ってる?真夏にマフラーって本当に辛いんだよ?」
「今は寒いんだろ」
「そうだけどさ」

靴先で小石を蹴っ飛ばす。
少しだけ前進したそれをもう一度蹴ったら、あらぬ方向に飛んでいってどぶに落ちてしまった。あーあ、残念。
そんなことをしていて完全に意識は別に向いていたけど、ふと、ひょっとしなくても先程の彼の言葉は私のことを気遣う言葉なんでは?と得体の知れない感情が鎌首をもたげた。
前は、とくにあの頃はそんなこと、彼はしなかった。
彼も変わったんだなあと思った。それもいい方向に。
良かった、先輩がしてくださったお陰だろうから、やっぱり彼には先輩のようなエネルギッシュな人がいた方がいいんだ。
逃げるようにそう考えてみたけど一度昇った血は頬からなかなか退いてくれそうにない。
小さい子みたいだけど赤いのは寒さのせいだって、思ってもらえないかな。
そうじゃなきゃ恥ずかしすぎてどうにもならない。

「ありがとね、シンタロー」

今さらだけど背中にお礼を投げ掛けると彼は振り返って、不思議そうに笑った。
何に礼なんか言ってんだ、そう言う彼は俺の方が礼、言わなきゃいけないのに、と口の中でモゴモゴ告げる。
何だかちょっと他人行儀で、距離も広がってしまったように思える。
これだけ会うこともなかったのだからそれは当たり前だろうけど、少しだけ寂しくて、前みたいに笑いながら手をとったり、したかった。でも触れられはしない。
すぐそこに、いるのに。

「わっ!」

ボーッとしていたから、犬に吠えられただけで驚いて声をあげてしまう。情けない。
ほら、彼も苦い顔をしているじゃないか。
恥ずかしさでいっぱいになりながら彼の後を小走りに追うも、彼は止まって待ってくれていた。

「やっぱり、ちょっと見ない間に変わったね」

変わってしまったことがある。変わらないことがある。
私にとって大切な「ぜんぶ」を確認するにはまだまだきっと時間がかかる。
けれど、少なくとも彼のことは現在進行形で分かっていっていける。
手も繋げなくて言いたいことも言えなくて、互いに中途半端に関係を繋いだままだけど。
私たちはそこまで深くも浅くもない水面下で互いの気持ちを抱き合うがごとく知り合っている。
だからね、このままでもいいんだ。
私たちには「また明日」があって今を作っていけるんだから。太陽はまだ空高く、私たちの間を北風は行く。
この距離が縮まってゼロになる日が来るのなら、こんなモラトリアム期間だって幸せなものなんだよ。

「何だよその親戚のおばさんが言いそうなセリフ」
「うう、そうかな?だってそう思ったんだもん」

もう少しで地上に出て、手に手を取り合えるはずだから。
彼は私に右手を差し出すとぶっきらぼうに照れながら言った。

「じゃあ、変わらないお前は寒がりのままなんだろ」
「…………うん。ありがとう」

繋げた左手は拍動しすぎた心臓の熱が移ったように熱くって、シンタローの手のひらが変わらずあの日と同じように大きいから、私は小さく笑みをこぼした。
ね、すぐ手は繋げたし、変わらないものだって私の回りにはあふれている。


 水深500メートルのハグ

 title by:へそ
















タイトルが素敵だったからぜひシンアヤで書きたい!と思ったのだけれどちょっとむつかしかった。
でもセトやモモでは溺れちゃってるから暗くなりそうだったので。
……それもそれで書きたいなあ。

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