11/06の日記

15:30
花菱草
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悟チチ





世界の、いや宇宙の危機を二度も救ったヒーローが自分の夫だなんて、光栄なことであり、妻として鼻高々だ。夫は子どものころから世界の平和を護ってくれているのだから、自慢したくなる。

でも、一人の人間として見ている自分にとって、それは淋しかった。

皆から信頼されるヒーローの夫が嫌いなわけではない。むしろ誇りに思う。しかし、ヒーローなんて大きな役でない時の夫を知る自分にとって、ヒーローのときの夫は遠くに感じて苦しかった。

ああ、自分はなんて矮小な人間なのだろうかと反吐が出る。宇宙を救ってくれたヒーローはきっとこの先も何かに巻き込まれていくだろう。そしたら、良き妻を演じ、信じて帰りを待てばいい。そう…諦めてしまえばいいのに。


どうにもフン切れつかぬ自分は、いまだ乙女心を捨てきれないのだ。


世界なんて大きなものはどうだっていい。

自分の側にいて。

何処にも行かないで。

自分だけを見て。


・・・我儘で馬鹿げた贅沢者だ。

平和が訪れたというのに、何故こんなに悲観的なのだろう。





どんどん気落ちしていく自分が嫌になったとたん、手を滑らせて皿を割ってしまった。


床に散らばった破片を一枚一枚、拾い上げていく。

皿一枚も惜しい家計事情だというのに・・・無様でしかたがない。


さっさと片付けてしまわなければと思って、最後の破片を拾い上げる。




「…っ」




1pほど指を切ってしまった。

流れ落ちる血をそのままに再度、破片を拾い危険物へと捨てる。


血は手首のあたりまで流れていた。そんなに深かっただろうか…。軽く止血をしなければと唇に指を持っていこうとしたときだ。夫の空気を感じた。




「チチ たでぇま!…って、おめっ、その指どうした!!?」


「ぁ、ちっと切っちまってな…」




片手をあげていつものポーズをする夫が流れ出る血に驚き、がしっと手首を掴んできた。"あちゃ〜"と小さくもらしたあと、自分の指をぱくりと咥える。




「ご。ごくうさっ!!」




あまりに自然すぎるその行動に反射的に手を引こうとするが、夫は離さずそのまま咥えて小さく血を吸う。そして手首にかけて舌を這わせた。




「…っっ」




夫の舌使いの感触に手首の神経から全身に電流が走る。自分の顔が赤くなるのがわかってうつむく。

夫は構わずにいまだ舐め続けている。

もう止血しているはずなのに、夫は離してくれない。

お願いだから、離してほしい。

このままじゃ…ああ…




「…ご、悟空さ…もう、いいべ…?離して…」


「いやだ」


「っ!?…な、なして…?」


「まだ、止まってねぇ」


「もぅ…もうっ…ぁっ……平気だべっ」


「だめだ」


「ごくぅさァ…」


「黙ってろ」


「…っっ」




数分、舐め続けられた指が解放されたときには、止血どころか水分を失いふやけていた。

幸いにも息子たちは外出していたので、こんな恥ずかしい場面を見られなくてすんだ。だが、たかが指を切ったくらいで、あんなにイやらしくならなくてもいいではないか。


罵倒してやりたいのに、舐められた指と胸の奥がじんわり温かくて…何も言えなかった。


代わりに、滴が床にぽたぽたと跡をつける。






「ち、チチ!?」


「…」


「おい、どうしちまったんだよ。そんなに痛かったんか?」


「…」


「ば、バンソウコウ…はるか??」


「…っ」


「泣くなって、泣かねぇでくれっ。もっかい舐めるか!?」





違うの。違うの。

たかが指を切っただけなのに、どうしてこんなに心配してくれるんだろう。

たったそれだけのことなのに、自分を見てくれているんだと感じてしまう。

こんなに小さな自分の心配をしてくれる。

嬉しくて嬉しくて、そして惨めさが飛び交う。




「……だいじょうぶ、だべ」




「…。大丈夫じゃねーだろ。こっち向けよ チチ」





宇宙を救った温かい両手が自分の頬をすくい上げる。

涙で夫の顔が歪んでいるが、夫の顔が近づいてくるのはわかった。




「…んっ」




唇に温かい感触。何度も浅く触れてくる。

最後に啄ばまれた。




「チチ どうしたんだよ」





いつも子どものように無垢なものでない、自分だけが知る夜の瞳で見つめられたら、言いたくなってしまう。

夫から視線だけ逸らした、そしたらまた唇に夫のが触れてきた。





「…言えよ。」


「……」





本当に言っていいの?

とても我儘で、馬鹿なことなの。





「…言っても、いいだか…?」


「おう」







もう 知らない








「…おらのものに なってけろ…」



「……」






ほら、言わないほうがよかった。

夫の瞳が一瞬だけ、揺れたのを見逃さなかったから。

"よくわかんねぇ" "はは、バカだな"

って、笑い飛ばして…お願い。











「?何言ってんだ?オラは初めからおめぇのもんだろ?」



「……っ?」



「んで、おめぇはオラだけのもんだろ?違うんか?」






なんてことだ。

皆から慕われるヒーローの心の中心に自分がいたというのか。





「なに、驚ぇてんだ?」


「え…ぁ、と…」


「おめぇが泣くなんて、なんかあんだろ?」


「…。」


「フウフに隠し事はなし。だろ?」


「…んだ…」 





夫が自分と同じ贅沢者であるなら、もう隠す必要などない。






「…おらだけの悟空さでいてほしいだよ」


「ならオラも。オラだけのチチでいてくれよな」


「悟空さこそ何言ってるだ。…おらは初めから、悟空さのものだべ?」


「いいや、おめぇ すーぐ悟飯や悟天ばっか構うだろー?オラそれイヤなんだぞ」


「…悟空さ。子どもでねぇんだから…」


「そう言うおめぇだって…」


「……んだ、な。おらも十分、子どもだな」


「ん?でも、オラ…おめぇ以外の奴をかまったことねぇぞ?」


「…………、ふふ」





夫は息子たちを自分は宇宙を…どうやら同じ贅沢者でも、考える規模が違うらしい。いつからか知らないが、夫は身勝手な心を前からもっていた。自分は夫がどんどん大きな存在になっていくうちに、その心を押しやっていた。


でも、そんな遠慮ももう終わり。


END



切腹を申しつかす。

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