隠の王

□ふたりの、しにがみ
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雲平先生が教科書の英文を読み上げている。
ここは重要だから覚えておけ、とか言って長々と解説しているけど、俺は面倒くさくて聞き流していた。
流暢な英語が頭の中をすり抜けていく。
ちゃんと届いているけど、すぐに忘れてしまう。
今先生が何を言ったのかも。
聞きたくない、先生の声なんか、
今は。
先生は教えるのは上手いんじゃないかと思うけど、その声は何だか俺に眠気を齎す。
だけど俺が先生の声を聞いていたくないのには、もっと別の理由があった。
昨日、森羅万象のことで何度目になるかわからない口論をした時、先生は宵風を貶した。
しまった、という顔をして気まずそうに俯いてしまってたから、そんな事言うつもりなかったんだと思う。
だけどその言葉は鈍い痛みとなって今だ俺の中に残っている。
先生が教科書に書き込まれたのを読み上げているだけの言葉なんて、俺には届かない。
変なの、と思った。
そんなの教師なら当たり前のような事じゃないか。
大勢の子供相手に勉強を教えるのに、一言一言いちいち気持ちを込めるなんてそれこそ可笑しな話。

教科書とノートは開いている。皆がせわしくノートに書きこむ中、ちら、と雷鳴の方に目線をやると、何本もの色ペンを手にしていた。
虹一は俺よりふたつ後ろの席だから、どうしてるのかは分からないけど、多分きちんとノートはとっているだろう。
後で写させてもらおう。

肘をついて、窓の外を眺めてみた。
目がチカチカするくらい蒼い空。視界を空だけで満たすと自分がどこに居るのか咄嗟に忘れてしまいそうだ。
だけどボーッと眺めているうちに、小さな雲もいくつか浮かんでいるのに気付いた。

「おい、六条」

何度か名前を呼ばれたのも聞こえていたけど、先生の声に鈍い今の俺は反応するまでにちょっと時間がかかった。

「何ですか」

目線を教室の中に戻せば、クラスの皆が俺を見ていた。

「ボーッとしてないでちゃんと聞いておけ。今やってるとこは次のテストにも出すぞ」

呆れたように言いながらも、先生の目は鋭かった。
余計な事を考えるな、とても言いたいのだろうか。

「俺にはテストよりも大事な事があるんです」

ちょっと冗談っぽく言ったつもりが、自分で思ったよりも割と深刻な感じになってしまった。
先生と雷鳴が一瞬顔色を変えたけど、クラスメイトの反応はいたって普通。

「……ノートくらいはとっておけよ」

頷いて、また視線を窓の外へやる。
先生が小さく溜め息を吐いたような気がした。

と、正門のところに何か黒いものが見えた。
よく知った姿。じりじり照りつける太陽にやられてしまったとでもいうように、その場にしゃがみこんでいる。
「宵風、」
掌にあてていた頬を離す。
俺が小さく呟いたのは、虹一が指名されて英文を読み上げている最中だった。
一瞬、虹一の声が止まり、慌てたようにまた再開される。
先生と雷鳴が俺を見ているのがわかった。
虹一が英文を読み終わっても固まったまま俺を見る先生を不審に思ったクラスメイトが、先生の視線を辿って俺を見る。

「先生、気分が悪いので俺帰ります」
立ち上がって、そのまま荷物も持たずに教室を出た。
早く行かなきゃ、宵風が待ってる。

先生が呼ぶのも構わずに、俺は廊下を走った。
今日は特に暑いから、窓は殆ど開けられていた。授業中の教室の横を通り抜けると、驚いたように俺をみる人。

早く、早く。

宵風は明るい所が嫌いなんだ。夜の闇を好む。
今日みたいに特別太陽の照りつける日って、苦しいんじゃないのかな。聞いたことはないから分からないけど。




先生は宵風が死神といわれている事を知らなかったのか、
昨日先生は言った。

「あいつはまるで死神だ。最近俺はお前までそう見える。六条、お前あいつに感化されてるんじゃないのか」

何それ、と俺が返すのに、先生は決まり悪そうな顔で何も答えなかった。




「宵風、」
駆け寄ると、顔を上げた宵風は驚いていた。

「壬晴、どうして」

「教室の窓から見えたから」

「抜けてきたの」

「うん」

唯一俺が隠の世から離れていられる空間。
だけど俺にはもうそんなものいらない。

「ちょっと来てみただけだったんだ。
もうすぐ帰るところだった」

ごめん、と言う宵風が、どうして謝るのか分からなかった。

「間に合ってよかった」

俺の言葉に、俯いて黙っていた宵風は、暫くして呻くように言った。

「僕に依存してしまっては苦しむことになる」
お前は、僕を消さなきゃいけない、そう言って一度咳き込んだ後、また言葉を続ける。
「僕も、壬晴に依存しつつある」
暫く離れて行動した方がいいかもしれない、という宵風の言葉を遮るようにして、俺は言った。

「大丈夫だよ、何があっても宵風は俺が消してあげる。
それに、」



全てが終ったら、同じようにして俺も後を追うから。

宵風が目を見開いて、俺の肩を掴む。
痛いくらいに食い込んだ指先は、小さく震えていた。

「どうして、

僕のせいなのか」

「違う。それは違うよ宵風。

嫌になったんだ、こんな世界」

自分でもそれは、隠の世のことなのかどうかはまだ分からなかった。
だけど、望んでもいないものを背負わされて、だんだんと自分が分からなくなって、あっちとこっちに挟まれて、自分が隠の世の中心に居る。
それは苦しい事だった。

そんな中で、宵風を失ったら俺はどうなるだろう。



そうだ、何もなかったことにしてしまえばいい。
俺の力で。


「俺も消える。
辿り着くところは同じだといいね。

そしたら、また、会える」












ふたりのしにがみ
(僕を、俺をこんなにしてしまったのは誰)(死神はね、普通の人間よりもずっと脆いんだよ)























080613

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