隠の王

□夜這い?じゃありません、かな?
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プチ、と宵風が薬を取り出す。
何の薬なのかは、俺は知らない。聞くのが怖いのかもしれない、俺はただ黙ってそれを見ていた。
宵風の喉が上下し、死を食い止める為のものなのだと俺の予想するその錠剤は、あっさりと飲み下されてしまった。
薬を飲む。
それだけの事が酷く残酷な光景に見えたのは、多分これが始めて。
気羅を行使し、自らの命を削る。
灰狼衆の役に立つために禁術を取得したのか、あるいはそうせざるおえなかったのか。
死んでしまいたくはない。全てを消し去ってしまってから、何もない、死よりも残酷な無の世界を望む宵風。
宵風は過去で生きているのだと思う。勿論宵風から何か聞いたわけではないし、一緒に居て俺が何となく感じただけの事。
今を、未来を見つめていない宵風は、幼い自分に降りかかった何かを消そうと必死で、苦しくてもがいている。
宵風を誰が追い詰めたのか。
言葉であるか、暴力であるか。
だから気羅という絶対の力を手にする事で、過去の自分から逃げているつもりなのかもしれない。
……否、宵風はいつだって自分自身を責めて、責めて、望まれなかった自らの命に苦しみ、それでも怖い死。
宵風はきっと悪くないんだと思う。
(だって時々俺に見せてくれる柔らかい微笑みは、誰から向けられた笑顔よりも俺の心を支配してしまった)
(俺はもう宵風なしでは生きられない)
(だけど宵風を一番苦しめるのは気羅によっての「死」で、宵風が抱えている何かから俺が君を解き放つ事が出来たら、二人で生きる事を考えてみようよ)
俺の無関心はいつの間にか宵風によって薄れつつある。
宵風と過ごす時間、抱えているものの共通点。
互いに理解しあえない事があるから、だから俺達はすれ違ってばかりなんだ。
それなら、俺は君を理解してみせる。
君を理解して、
俺が救ってみせるよ。









夜這い?じゃありません、かな?






全ては俺のため。
宵風と離れたくないから。
もう二度と会えなくなる日が来るなんて、耐えられないから。

俺の気持ちはもうすでに決まっていた。
後は宵風の気持ち。
強引に生かすことも出来るけれど、それは最終手段。
生きてみてから考えてみればいいじゃないと思ってみたこともある。
だけどその生きてみる事が宵風にとってたまらない苦痛になるのだったら、
俺はそこでまた迷いが出てきてしまう。
俺の我儘。
宵風に生きて欲しい。
俺と一緒に、
もっと、
もっと、
楽しい時間とか思い出とか、お互いをかけがえのないものだと思えたとしたら、
きっと新しい未来が姿を現す。
たとえその未来、宵風が俺を憎む事になったとしても、俺はいくらでも時間をかけて君の心を包み込んでみせる。
拒絶も、罵倒も、殺されそうになったって、いや、たとえ殺されたとしても、
俺が与えた宵風の未来の中で、いつか大切な人やものが見つかって、たとえそれが俺以外の誰かでも、俺は君に生きて欲しいんだ。

世界から消えてしまうなんて、
初めから居なかった事になる。
俺との出会いも、
一度だけ宵風が俺との買い物でこぼしたあの笑顔も、
(俺が無理矢理誘ったんだけど)一緒に作った見掛けの割りに美味しかったケーキも。

自惚れかもしれない。
だけど宵風の傍に居て、俺が一番宵風の苦しみを理解していると思う。
俺にも宵風と同じような気持ちになる事もあるから、
そういう同類と呼ばれる俺達は、意外と他人の感情を読み取るのが得意だったりする。(宵風はどうか知らないけど)
ああ、この人の笑みは作り物だけど、一生懸命それで自分を保っている、とか

無表情で他人に無関心。感情をあまり表に出さないで、他人との間に叩けば割れてしまいそうな薄い壁を作って他人と接する。
俺は涼しい顔をして、結構必死で強化している。

優しさなどいらない。
気まぐれで、孤独に耐えられないから、俺みたいな人間はひとりぼっちのクラスメイトに目をつけられやすい。
友達なんていう肩書きが欲しいなら俺はやめておいた方が良い。
俺は別に君が命の危機にさらされていたとして、その場に向かう事はあっても駆けつける事はないだろう。
俺は無関心でいなきゃいけないんだ。
誰とも交わらず、
誰にも裏切られず、
打ち明けられた悩みも、
俺にとってはどうでもいい事なんだ。
言いふらすこともしなければ、
力になる事もない。

深くなった友情はいつか破綻してしまう。
何十年と時を経ても、
深夜急な呼び出しで駆けつけてくれるものなど居るだろうか。
祖母の命の危機だからと言って、大事な恋人との約束を抜けて来てくれるだろうか。
もしも俺の抱えているものが精神を侵食して、俺が俺でなくなり狂ってしまった時、止めてくれるものなど居るだろうか。
いつか俺は化け物と呼ばれるのではないか。
そんな予感。
つまらない、俺は望んじゃいないんだ、こんな力。
勝手に巻き込んで、
森羅万象とか、隠の王になれだとか。
……怖いんだ。
不安で仕方ない。
力を手に入れれば、俺は自ら愛する人を殺めなくてはならない。
あるいは気羅によって五感を失い、ひからびるようにして死んで行く彼を見ているだけしか出来ないのか。
そんなのは嫌だ!
俺は、何としても宵風を生かしてみせる。
たとえ恨まれようとも、俺は俺の我儘を突き通す。
後悔はない。
ただ、宵風に生きていてほしいだけなんだ。
過去なんて、簡単に忘れられるものじゃない。
たとえ今が世間一般的にシアワセなのだとしても、過去は消えない。
いつまでたっても染み付いて、
思い出しては胸を締め付ける。
宵風は俺の知らないその昔、何を抱え込んで傷つけられ、心が希薄になってしまったのか。
自暴自棄にも見える最近の宵風の行動。
無理もない、時間はそう多く残されていないのだから。
その間に、俺は宵風の心の闇を取り除いてみせる。
俺が吸収して、君の分まで背負ってみせる。
勿論そんな事は宵風には言えないけれど。




俺に関わるな、友達なんてうんざりだ。無関心で居れば、心を痛めることもない。
自ら選んだ筈の孤独は自分を追い詰める事もあれば、馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばしたくなる時もある。
自ら選んだ?
違う。
俺は森羅万象であるから必要とされている。
守ってもらってばかりで、灰狼衆に身を置いて、萬天を裏切った。
人質にとられた皆を救う為、それは当初の目的。
勿論それは今も同じだけれど、それ以上に俺は宵風の残された時間が心配でたまらない。

「ねぇ宵風、もしも俺が森羅万象でなかったら、宵風は俺以外のところに行ってしまっていたのかな」
寂しいんだ。
宵風にまで俺を必要とされなくなってしまったら。
だから俺は死ぬわけにはいかないんだ。森羅万象を使うまで。どんな風に使うかは、まだ決心がつきかけている。

「僕は僕を消すことしか考えていなかった。
だからもし壬晴が森羅万象を所持していなければ、

僕は君とこうして傍に居る事はなかっただろう」

……そう、それは当然のこと。
存在を消すなんて、森羅万象を使う以外に方法はないのだから。
俺じゃなくてもよかったんだ。
……だけど、俺は選ばれた。
そして、宵風は俺に助けを求めている。

「じゃあ、宵風には俺が必要なんだね」

「そうだ、僕には壬晴に縋ることしか出来ない。
だけど、僕はね、

壬晴と僕に残された最高の選択肢。それでもいいかなと、僕はそう思う時がある
僕は、壬晴が居てくれれば強くなれる気がするんだ。気羅も、僕が手にかけてきた人々も、胸の焼きつくような記憶も、
忘れる事は出来ない。
だけど壬晴は僕の全てを包んで、理解して、否定しない。
心地よくて、愛しいと感じる時がある」

霞んでとけてしまいそうな柔らかな笑み。
細められた目元はとても優しい光を持っていて、俺の中に湧き上がった期待を、必死で押さえ込む。
期待しては駄目だ。
俺達は互いに共通する心はあれど、立場はまるで違う。

だけど、
俺は宵風のその笑みに抑えきれない期待に、気がつけば頬を暖かいものが伝っていた。

「どうして、壬晴が泣くの」

宵風は両手をやり場がないように出したり引っ込めたりしながら、戸惑ったように唸った後、俺の頭を乱暴にぐしゃぐしゃと掻き乱した。

「宵風はね、僕が大事なんでしょう」

「……」

一瞬の沈黙が流れる。
宵風は自分の足元に視線をやると、きっぱりと言った。

「僕を消してなくれても構わないんだ。
それはきっと壬晴の心に抱えきれない傷を残してしまう。
そんな事考えても見なかったけど、最近気付いたんだ。
望みもしない力を抱えてしまった君に、僕は縋っていた。
これ以上、壬晴を傷つけたくはないんだ」

それが、宵風の答えだった。
理解するのにそれ程の時間は要さなかった。
するすると俺の頭を流暢に流れていく宵風の言葉。
それはまるで俺の頭の中に直接響いているみたいで、頭がガンガンと何かに殴打されたみたいに痛んだ。
締め付けられるような胸の痛みが、脳内で宵風の言葉の意味をゆっくりと反芻する。

「な、に…?
宵風、に、俺はもう必要ないの?」

宵風の言葉に思い切り胸を貫かれたような感覚。
その後に襲ってくる、体の感覚が薄れていくような感じ。
視界はフィルター越しのようで、声もはっきりと聞こえるのに、まるでそれを拒否しているかのように言葉が脳内まで届かない。
理解、出来ない。

「僕は灰狼衆の気羅使いとして死んで行くよ。
もうどうせ、長くは持たないんだ。
今まで、ごめん

沢山、苦しめてごめん」

俯いた宵風の表情は俺からは見る事は出来ない。
だけど、その感情を隠すかのように俯く癖に妙に苛立った。

「俺は!、
望んでこうしている。これは俺の意志なんだ。
約束もした。
今更無効なんて赦さない。


どんな形でも、俺は宵風を救ってみせるよ」


全部、


全部


君が打ち明けてくれたら、
多分君は真実を知らされた俺よりも苦しむ事になるんだろう。
だから、聞かないよ。




心を開いて、いつか俺に宵風から話してくれる日が来るまで。


「ありがとう、

壬晴、

僕はもう可笑しくなってしまいそうなんだ。



たすけて。

僕を、たすけて」

押し殺した低い声に、僅かに混じる震えときつく抱きしめられた宵風の腕。

「助けるよ。
俺がどんな手を使っても。宵風を助けてみせる。
何たって、僕は王様だからね。表の世界じゃひ弱な学生だけど」

はにかむようにして微笑みを向けると、宵風も愛しそうに微かな笑みを浮かべた。

「壬晴はいつだって強いよ。
沢山背負ってる。
僕の事も、隠の世のことも。慣れない戦いだって、逃げないで居る」

それは、宵風だって同じじゃないか。
消えたいと望むなんて、押し殺して耐えてきた何かがあるからでしょう。
それでも消えてしまえばどうにだってなるのに、
それを約束させた俺に罪悪感を感じるなんて。
強くて、優しい。
だけどそれは隠れてしまって分かりにくいから、宵風のことを誤解する人も多いんだと思う。

気羅なんて恐ろしい禁術で人を殺して。
何て残虐て心の凍った人間だと思う人だっているかもしれない。
だけど、宵風をそうした何かがそこにはあって、
自らの命を削って人を殺す。
苦痛なんて一言で言い表せるものではないだろう。
いつの間にか凍り付いてしまった宵風の心は、



何を感じ何を求めているのか。




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