第一本棚

□大事に思うから
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「38.5。誰が見てもこれは普通じゃない。感冒…風邪だ」

ピピピというデジタル音にザエルアポロが体温計の表示を見るとそう易々とはお目に掛かれない数字が列んでいる。

「…やれやれ全くどうしたら、……」
「それはこっちの台詞だ」

溜め息混じりに言葉も吐き出しながら体温計を指先に持ち指示棒の様に振っていると顔面に向けて濡れたタオルがイールフォルトによって投げ付けられた。
その衝撃にザエルアポロは浅く腰掛けていたソファの背もたれに音を発て背中を預けたまま動かなくなる。

「暫く静かだと思いわざわざ様子を見に来てやれば案の定…床に倒れ込んでいるのだからな」

イールフォルトも先程のザエルアポロの様に溜め息混じりに漏らすと人差し指を立て倒れたまま動かないザエルアポロに向けた。
向けられている指が見えているのかザエルアポロはゆるゆると遅い動作でソファに沈めていた身体を起こし始めた。
ただでさえ普段から低い体温のザエルアポロにはこの高熱は相当堪えている。

「実験が忙しくてね。お前みたいな低能には幾ら説き伏せても分からない素晴らしい結果が待っていたんだよ」

顔に投げ付けられた濡れタオルを引き剥がし熱を持っている額、首筋へと当てタオルの心地良い冷たさが高い体温によって奪われると床に投げ捨てた。
はぁとわざとらしく大きめの溜め息を一つ。

熱が高いというのに言動は普段とあまり変わらない。

「幾らお前が有能でも体調管理が出来ないのなら生き物としては低能だな。どれだけ頭の足りない奴でも死に掛けるまでは動かない」

床に捨てられたタオルにイールフォルトは一度視線を遣るも気にする風も無く何処かに身体を落ち着け様と部屋の中をぐるりと見渡す。
椅子には本やら何やらよく分からない実験途中のナニか、が乗っている。
あまり見ていて気持ちの良いものでは無いそれから目を逸らす。
辛うじて何も載せられておらず本来の機能を果たしている唯一の椅子に腰を掛けた。

「おっと、僕等は一度死んでいるのだから生き物というのには語弊があるよ、兄貴」
「弱っている時位は少し黙っていろ」
「兄貴が喋らせているんだろ?」

眉を下げて寄せて見せると苦笑を浮かべ明らかに演技染みた所作で肩を竦め言葉末のイールフォルトを指すそれを小馬鹿にし強調する口調。
普段より無駄に饒舌だな、と少々疲れ始め片手で白い名残の部分の上から額を押さえた。

「……。で、何日完徹だ?」
「嗚呼…、…さぁ?此処には時計が無いから時間の感覚が曖昧さ」

問い掛けに何処か天井へと目を向けると手袋を履いていても分かる細い指を立て数え始める。
が、片手で数えるのが足りなくなるとどうにも面倒になったらしく持ち上げていた腕を投げやりにソファに放った。

「食事は?」
「ソレ」

ソレ、と顎で示された机の上ものを見る。
食べかけのモノが残った皿があるならまだ可愛いものの、そこにあったのは蛍光の黄、青、ピンク…到底食べ物してはあまり摂取したくない色をした液体が残ったビーカーだった。
恐らく、ほぼ確定的だがザエルアポロが作ったものに違いなかった。
一体どうやったら何を入れたらああなるものなのか。

もっとまともなモノを摂取しようと思わないのか、我が弟ながら全く考えが分からない、とそんなのが知らずに表情に出ていたらしい。

ほんの少しだけ先程より控え目な口調で問われる。

「呆れてしまった、かい?」
「少し、な」
「…そ、う」

本当は少しでは無く大いに、であったが肯定し頷くと歯切れ悪そうにしザエルアポロは視線を背ける。そのまま目を瞑った。
心なしかそれは普段の様子からは考えられないが淋しそうに映った。

「……。いい子に寝ていろ。何か持ってきてやる」
「僕は子供じゃない」
「俺にとっては何時までも大事な弟だ」

落ち着く筈も無い椅子から立ち上がると目を瞑ったままの普段よりは肌が朱い病人に話し掛けてやる。
うっすらと瞳を開くと心底嫌そうな声色で発し持ち上げるのも本来なら億劫であるソファに放っていた腕をひらっと振った。
それでも決定的な言葉をごくごく当たり前の様に言うと一瞬だけ面食らった顔になる。顔が一層赤く見えたがきっと熱の所為だろうと思った。
部屋から出ようと歩みだして居たイールフォルトの背中にぶつぶつと抗議の小さな声が投げ付けられるがそれは耳にまでは届かなかった。





米を煮ただけの白粥を要らないと一言で片されてしまうかもしれないと思いながらもザエルアポロへの部屋に持って行った。
他の誰かなら生命の維持が難しい状態であろうとそれの従属官にでも任せれば良い、一切関わりすら持とうともしないわけだが。

部屋に付くとそこには珍しく他人に命令をされるのを嫌うというのに言い付けを守り、ただ単に具合が悪く守らざるを選なかったのかもしれないが出た時のままザエルアポロがソファに横たわっていた。
イールフォルトの気配には気付いていたらしく熱の為に虚ろな黄色掛かった茶の目と赤掛かった茶の目が合った。
唯一の椅子をソファの近くまで運んで行くと粥を差し出した。
ザエルアポロはゆっくりとした動作で熱い息を吐き出しながら身体を起こす。
状態が良くなっている様には見えず寧ろ悪化している様だ。39度に達しているかもしれない。
恐らく最低でも一週間振りのまともな食事と呼べる食べ物の匂いにザエルアポロはすんと鼻を鳴らした。
それでも受け取ろうとはせずに腕をソファの上に投げたままにしている。

「怠くて腕を動かしたくない。食べさせてくれよ」
「どうして俺が」
「僕はお前の大事な弟なんだろう?」
「…全く」

双方の口許には小さな、同じ意味を含んだ笑みが浮かんでいた。










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ありがちな薬の口移しネタが何処かへ行ってしまった。

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