第一本棚

□世界で誰よりお前を
1ページ/1ページ




――目が覚めた。

寝室に付けられている窓からは偽りの夜空に浮かぶ偽りの月の明かり射し込んでいた。
まだ夜だ。
あれからはそんなに時間が経っていないだろう。
心地の良い怠さがベッドへと沈めている身体を侵している。

己の横たわるベッドの隣を見れば確かな距離を空けてザエルアポロが背を向けている。
こんな時位近くに寄ってくれば可愛いものの、と未だまどろみに落ちたいと願う覚醒のしきっていない頭で考えた。

ふと、数刻前の情事中の事が過ぎる。





元々睦言の類いを嫌うザエルアポロだが、今夜は己から与えられるそれを一段と拒絶した。

好きだ、と言うと眉を寄せて心底不快だという顔をして睨め付ける様な視線を向けてくる。
口を開くな、と。
嫌いだの方が幾分もマシだ、と言われた。

愛している、と言うと今度は驚いた様に一瞬目を見開き直ぐに顔を顰めてしまうと黙れ、殺すぞ、と言い。
これ以上は聞きたくないという風に発する言葉とは裏腹、弱弱しい様子で自らの手の平で耳を覆い塞いだ。

お前だけを、と限定する言葉を続けると顔を歪めて全てのものを否定する様に耳を塞いだままかぶりを何度も振った。

情事中の生理的それか何なのか理由は定かでは無いが、涙がその頬を濡らしていた。


一体何だと言うのか。





不意に己の聴覚がすすり泣く声を捉えた。
視線を隣へと向けると先程は気付かなかったが、ザエルアポロの血色を失った様な青白い肩が微かに震えていた。


「どうした?」


声を掛けると俺が起きていると思わなかったのだろう、びくりと大きく肩が震えた。
同時にすすり泣く声もぴたりと止んだ。

ザエルアポロは暫しの間何の反応も返さずに居たが、しかしこのまま遣り過ごすわけにもいかないと思ったのかゆっくりと緩慢な動きで横たえていた身体を起こすとこちらを向いた。

窓から射し込む月明かりが逆光となり俯いている顔に影を作り上げその表情が伺えない。


「僕等は、死んだら、一体、どうなる…」


問い掛けともただの呟きとも取れる小声でそう言った。
その後も唇は何か言葉を紡いでいたが、上手く聞き取れる事が出来なかった。
しかし、確かに、発せられた声は何時ものザエルアポロのものとは違い掠れていた。
俺は眉を潜めながらベットに横たえていた身体を起こした。


「…俺には、分からない」

「当たり前だ。僕に分からない事が、お前になんか分かる筈が無いんだ…」


問い掛けなのだろうと思い、それでも相手の欲しがっている適当である言葉が見付からずにそう答えると、間髪入れずの返答。
常の己を蔑む様な感情は篭もっていない。
ただ声が震えている。

俺は手を伸ばししっとりと濡れている頬に添えると俯いたままの顔を上げさせようとした。
ザエルアポロは拒絶の色は見せず力無く促されるままに顔を上げた。

一体どれ位の間泣いていたのか、目許は赤らみ、腫れてしまい瞳にも何時もの射抜く様な覇気は無い。


寧ろ、虚ろんでいる。


「…お前は、また僕を置いて死んでしまうのさ」


その瞳は真っ直ぐに俺を見ていて、それでいて遠い何処か空虚を見ている。

確かに俺は人間としての生をザエルアポロより先に終えてしまっていた。
変えられる筈の無い過去の事実だった。


「俺はお前を置いていかない。もう、二度とだ」

「嘘だ…ッ…そんなの、お前は…お前は…っ」


ゆっくりと諭す口調で言葉を紡いでやると焦点が俺の目へと合った。
感情が抜け落ちた様に表情を亡くしていた顔が急に歪められると先程とは比べ物にならない声量で声を上げた。
何かを言い終える前に両の手の平で顔を覆いまた俯いてしまうと小刻みに震えた。

堪らなくなりもう片方の腕を伸ばすと男にしては幾分も華奢なその身体を抱き竦めた。
途端に顔を覆っていた手を離すと俺の胸元へと遣り突っ撥ね、身体を何とか押し返そうとする。


とても弱弱しい抵抗。


ザエルアポロの抵抗毎包む様に、受け入れる様に身体を抱く腕に力を込める。


「世界で一番愛している」


顔を寄せて耳許にそっと幾度も伝えたであろう言葉を今一度囁き落とす。
あ…、という小さな声と共に抱き竦める腕を拒む様に突っ撥ね、強張っていた身体から力が抜け俺へとしな垂れ掛かってきた。


「俺とお前の時間に限りがあるというのなら…」


お前からも俺を求めろ、と続けようとしたが、其れは叶わぬ事と閉口した。

相手の自尊心の高さは重々と承知している。
言ったところで相手を苦しめる結果しか生まない。
また独り、頭が良い故に答えの出せない事柄に悩み囚われ己の知らぬところで泣かせてしまうだけであろう。

何故人間の生というしがらみから解き放たれたというのにこうも多難なのかと口許のみに苦笑を浮かべながら、まだ震えの止まらない背を何度も撫で下ろしてやった。

身体の横にだらりと垂らされたままだったザエルアポロの腕が持ち上がり俺の背へと回された。


二人の間に僅かばかりの距離も許さないという様に強く引き寄せられる。


ザエルアポロが己を求める仕草を見せたのは初めてだった。
何時もは拒絶、拒否、それだけ。

じくりと皮膚を立てられた爪によって傷付けられる痛みが伝わってくる。
徐々にと深められていく痛みに息を吐き出した。
こんな痛み等ザエルアポロの内なる葛藤と比べれば、と別段気にはならなかった。
己を求められているという直ぐ傍の体温がが勝る。



ザエルアポロがひゅ、と息を吸い込んだ。





「僕は、お前が…イールフォルトが好き、だ。僕を…僕を、愛していてくれ…兄さん」


涙声で掠れたそれは、確かに俺の鼓膜を撫でた。










********************

俺は(僕は)世界で誰よりお前を愛している。

7/16 一行削除。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ