小噺
□吹き抜ける風、届かぬボクの声
2ページ/3ページ
ゆっくりと、暗くなった路を歩くこと数分、目的の場所に辿り着く。そこは特に桜の名所と言われている訳でもなく、樹の数も少ないのだが、毎年必ず美しい花を咲かす。今年もやはり控えめな並木は美しい花を披露していた。
――だが、この時市丸の視界を支配したのは咲き誇る桜の花ではなく、その下で桜を見上げる人物だった。
(え・・・日番谷はん・・・?!)
驚きのあまり声が出そうになるも、すぐにその声は飲み込まれた。
桜を見上げる表情はとても柔らかで、微かに笑みを浮かべている。月影に映える翡翠の瞳は眩暈がするほどに艶やかで、風に靡く銀の髪は季節はずれの雪のように輝いている。
瞳が、意識がその姿に奪われて、もう息を飲むことしか叶わない。
(・・・ほんまに、綺麗な子やな・・・・)
その美しい少年に見つめられる桜に嫉妬しそうになったその瞬間、不意に凛と透き通った声が響く。
『・・・で、お前はいつまでそこに居るつもりだ?』
「えっ・・・?」
まさか気付かれてるなんて思わなかった。まして声をかけられるなんて。驚いて、返事に詰まってしまう。
『桜、見に来たんじゃねぇのか?何でそんなとこに突っ立ってんだよ』
「や・・・日番谷はんの邪魔になるんやないかと思って・・・」
『はっ、何を今更。遠慮ならもっと早くしろっつの』
それまで桜に向けられたままだった日番谷の瞳が、市丸に向けられる。なかなか自分を映してくれない瞳をじれったく感じていた市丸は、日番谷に近づきつつ、思わず本音を零す。
「・・・やっと見てくれはった」
『あん?』
「・・・や、こっちのこと。ひゃ〜・・・ほんまに綺麗やね〜」
日番谷の横に立ち誤魔化すように桜を見上げる。それに釣られるように日番谷も桜を見る。
訪れる静寂、流れる穏やかな空気。
(なんか・・・泣きそうや・・・)
ふと見遣れば、そこには柔らかな表情で桜に微笑みかける愛しい人。
(今なら、茶化さずに想いを伝えられるかも知らん・・・)
普段は冗談まじりにしか言えない想いの全てを。
「・・・日番谷はん」
『ん?』
再び向けられた瞳は、表情は、桜を見遣っていたものそのままに。それが市丸の感情を昂らせる。
「っ・・・・」
『おい、どうした?』
「日番谷はん、あんな、ボク・・・」
なんだか泣いてしまいそうな情ない自分を励ますように、一度間を置いてもう一度口を開いたその時、強い風に紡いだ言葉が攫われた。
そして攫われた言葉の代わりに、月明かりに透き通る花びらが雪のように2人の上に舞い降りた。
『・・・ははっ、すげぇ』
「ほんま・・・めっちゃ綺麗や」
その美しさに、思わず顔を見合わせて笑ってしまう。何故だか、とても心が温まる。
『・・・で?何か言おうとしなかったか?』
「あ〜・・・やっぱええわ」
なんだか、桜にタイミングを奪われて、今更という雰囲気になってしまったことに肩を落とすが、隣には尚笑顔を浮かべる愛しい人がいて。それだけで、心が満たされた気がした。
ただ、想いを伝えようとしただけ、ただ、好きな人に見つめられただけ。それだけで、有り得ない位、気持ちが昂って、泣いてしまいそうで。だけどとても幸せで。
(なんや、もうそれだけで十分な気がしたんや・・・)
Fine.