小噺
□優しいキスをして
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顔を上げなくても、誰だかなんてすぐに分かった。
上から響いてきたのは乱菊の恋して止まない上官の澄んだ声。
いつもそうだ。乱菊が悩んでいる時、辛い時、いつも彼はさり気無く傍に居てくれて、包み込んでくれて。そんな彼の何気ない優しさが大好きで。
だけど今日はいつもとは違う。乱菊にとっては彼は今、一番会いたくない人で。
(・・・何で、このタイミングで来るんですか・・・・)
そんな乱菊の気持ちを余所に日番谷はいつも通りの調子で・・・いや、気遣う様な優しい調子で問いかけてきた。
『・・・調子でも悪ぃのか?』
それなら早く帰るぞ、と無責任にも乱菊の頭をポンと叩く。その所為で何でもない振りを決め込もうとしていた乱菊の感情の栓が外れてしまった。
「・・・誰の所為だと、思ってるんですか・・・・」
『・・・あん?』
「全部、全部・・・隊長の所為です・・・!」
『は?お前、何言って・・・・』
訳が分からないという声を上げる日番谷。だが一度外れた栓を元に戻すことは不可能で。もう、歯止めなんて利かなかった。
何も手につかないのも。
何も考えられなくなったのも。
今こんなにも苦しいのも。
涙が溢れて止まらないのも。
こんな自分が嫌なのも。
それでも、こんなに好きだと思ってしまうのも――・・・
「・・・全部、隊長の所為なんですから・・・っ」
言うつもりなんてなかった、ずっと胸に秘めていた言葉たちが、勝手に零れ落ちていった。零れても、掬われることのない思いたちが。
全てを言い終えて、乱菊はやっと自分が戻ってくるのを感じた。不思議と後悔はしていなかった。
今はただ、冷たい風を感じるだけ。そして表現しがたい沈黙が少し、怖いだけ。
あぁ、長いことやってきた副隊長業も終わりなのかな、と思っていると、ふぅ、という溜め息と共に自分を呼ぶ声が隣から聴こえてきた。
『・・・松本』
その呆れたような呼び声に、乱菊は恐る恐る顔を上げ・・・・感じる違和感。
見えるはずの困ったような日番谷の顔が見えない。見えるのはただ、風に靡く美しい銀色。そして唇に何かが触れている感触・・・・
(・・・・え?)
何が起こったのか理解出来ない。それは唇に触れていたものが離れて、ゆっくりと日番谷の顔が近くに見えても同じだった。
「・・・え・・・え?」
『・・・あ〜やっぱ今日は冷えるな』
何事もなかったような上官の態度に、乱菊の混乱は深まっていくばかり。驚きと混乱の所為か、涙はいつの間にか止まっていた。