無数の星影だけが僅かに届く暗闇の中、2つの影が忙しなく交錯する。
聞こえてくるのはぶつかり合う刃物の金属音と微かな息遣いのみ。
はぁっはぁっはぁっ
「くっ、相手はたった一人だというのに…!他の者は皆殺られたと言うのか?!」
突如姿の見えなくなった相手を探し、左右を見回す。
「そ、お前で最後だよ」
背後に気配を感じた瞬間、男の視界は朱に染まった――
――――
カカシはクナイに付いた血を払うと、赤く汚れたベストに目をやり小さく舌打ちをした。
後ろには累々と続く死体の山。
辺り一面は夥しい量の血で地面が赤黒く染まり、少しだけ覗くカカシの白い面にも僅かながら血飛沫が飛んでいる。
「チッ……返り血浴びちゃったじゃない」
噎せ返る様な血の匂いに顔を顰める。
――ああ、キモチワルイ
この纏わり付く鉄の匂いも、数え切れない死体の数に何の感情も湧いて来ない自分も――
「隊長ッ!!」
「来るの遅ーいよ。もう終わっちゃった」
「もっ、申し訳ありませんっ」
未だカカシから漂う殺気に、追い掛けて来た部下達の動きが固まる。
仲間である自分達でさえ一瞬の内に無へと還されそうな気配に気圧され、身動きが儘ならぬ様だ。
「ああ、ごめんね。コワイ?」
握っていたクナイをホルスターへと収めると、くるりと背を向ける。
「他んとこもカタ付いたんなら先戻るから。後宜しく」
一刻も早くこの血の匂いから離れたかった。
このまま此処にいたら殺人の衝動を抑えられなくなってしまいそうな自分がいる。
片手を挙げて怯える部下にそう告げると、血の海を後にした。
――――
「あつ…」
夜でも夏の熱気を孕んだ空気は熱く重い。
通気性の悪いテントの中は宛ら蒸風呂の様だ。
(早くイルカ先生の所に帰りたいな…)
普段はかかない汗を薄っすらと滲ませながら里の彼を想った。
今回は特S任務の割には然程大した怪我人も出ず、ほぼ完璧な遂行と言っていい。
ただ相手の人数が多すぎて刃に掛けた敵の数は膨大なものとなっていた。
先程も仲間の到着を待つうちに敵との戦闘が始まってしまい、一人で一陣営を壊滅させた。
頭と身体が恰も別々の意志を持つかの如く自然と動く様には我ながら賞賛を送りたい程だ。
狐子の上忍師に就く前はずっと前線にいたし、自ら進んで暗部にも所属した。
任務と修行に明け暮れた日々を思えば、自分の忍としての身体能力と頭脳にはそれなりに自信があるつもりだ。
そして上忍師の職を解かれ以前と同じ様に戦地へ赴く事が多くなった今、嗅ぎ慣れた戦場の匂いにやはり自分の居場所は此処なんだと深く実感する。
だがしかし、それでも以前とは明らかに違う事がある。
生きたいと願う事。
人でありたいと思う事。
人を殺す事に何の感情も湧かなくなった自分をまた人へと戻してくれる存在が出来た。
彼の全てが自分を彼の世から此の世へと引き戻してくれる。
あの温かな腕に包まれて、やっと再び呼吸が出来る様になれるのだ。
――ああ、彼に会いたい。
身体は汗をかく程暑い筈なのに、心は氷の様に冷え切っていた。
「イルカせんせ…」
最後にイルカを抱き締めたのはもう何ヶ月前だろう。
イルカの熱が、声が、匂いが、狂いそうな程恋しい。
(いや、今はもう狂ってんのか)
ずっと押さえ込んできた感情が、長かった任務の終了を前に津波のように押し寄せる。
蓋を開ければ特Sとは名ばかりのただ時間だけがダラダラと過ぎた任務ではあったが、言い渡された時には己の死をも覚悟した。
だが、それと同時に生きて無事帰還するという確固たる自信も、何故だか十分にあったのだ。
そんな時、本当に心から思う。
イルカの存在が自分をこの世に繋ぎ止めていると。
S級任務ともなれば深手を負ったりチャクラ切れで昏倒と言った事は珍しく無かった。
しかしイルカと出会い心を通わせる様になってからは、怪我をする回数もチャクラ切れで倒れる事も数が減った気がする。
だって傷を負えばあの人が怒るから。
意識を失くして帰還すればあの人が心配に胸を痛めて涙を流すから。
イルカの笑顔を壊さない為にも、出来るだけ無傷で帰れる様に努力するようになった。
チャクラコントロ−ルも面倒臭がらずにちゃんと計算して。
カカシが取る行動は、全てイルカへと繋がっているのだ。
「早く会いたいよ」
更に血に染まってしまった自分でも彼はきっと何も言わずに受け入れてくれる。
あのお日様の様な笑顔で、優しく「お帰りなさい」と言ってくれるんだ。
そうしたら俺は彼をぎゅっと抱き締めて、息が止まるくらいの深い深いキスをして。
そして身も世もない幸せに、あの人と落ちていきたい―――
明日にはやっと帰途につける。
硬いシートに横たわり肩を抱いて蹲ると、浅い眠りに落ちていった。
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