一人分の嗚咽が聞こえる。
悲しいほどに泣いている。
苦しいほどに、切ないほどに泣いている。
しかし、涙が零れ落ちる事の無い眸には、悲しみの痛みと切なさの傷が写っていた。
そして、猛獣が叫んだような獰猛な声が響き渡る。


―――主よどうか、己の過ちを許す事無かれ。











「ヨマ…?」

小さな、怯えた声は夜の空に響く。
少年は、何かを探すように闇に向かって手を伸ばした。
少年が見つめている先には本当に何も無く、ただ優しい風が吹き、小さな声だけが響いていた。
それでも少年は二、三度同じ言葉を闇夜に向かって呟く。
声は次第に、反響するように震えた。
それは、答えるように。

「……ヨマ?」

恐る恐る声を吐く。
何故自分がこの名を呼んでいるのか解らなかった…。
何故、自分はこの名を知り、そして今、目の前の闇に向かって問いているのだろう?
闇に浮かんだ少年の姿は十一ぐらいの子供で、呟く声は高く、容姿も可愛らしい女子のよう。
朝露で濡れたような滑らかな髪は、夜色よりも深い色をして無造作に風に遊ばれている。
しかし、そのような少年が何故このような所に居るのかは誰にも理解できないだろう。

少年が居るところは古く、汚い邸だった。
少年はそこに住んでいるとは思えないほど良い服装だったからだ。
良い処で育ったのだろうか。
何処か不自然で不気味な少年の視界の片隅で、もぞもぞと闇が動き出した。

少年は待っていた、と言わんばかりに目を見張り、じっと見つめた。
そもそも何故少年はここにいるのか。
それは、誰も理解できないだろう。
刻は既に二時。
夜遊びさえもしないこの刻に、少年はひたすら待っていた。

――ここで待ちさえすれば彼はきっと。





先日、京の人が西の方角には怪しき者が住んでおる。
と小さな声で囁き、話していたのを聞いた。
いや、それこそ偶然であったが、その話の内容が気になり、夜、家を抜け出したのだ。
どうやらその異形の者は人間の血を奪っているそうで、三日に一度、血が無くなった人間が死体で見つかるとの噂だった。

…直感で彼だとわかった。
彼は待っているんだと。自分が迎えにくるのを。

――さぁ、行かなければ。彼を迎えに。私が行かなければ。

何かが心臓を、胸のあたりを駆け巡る。
痛さは無い。だけど、苦しい。
その苦しさが何なのか分からない雅明は胸を抑えた。
前にも一度、こんな事が。

しかし、思い出そうとしても全く思い出さない己に腹を立てたかったが、
今夜、あそこに行けば何かを思い出せるような気がし、雅明は夜刻に、噂の邸へ行こうと決意した。

自分が思う、彼≠ニは誰なのか。

今宵、行けばすぐに分かる。
何故かは知らないけれどそんな予感がした。
雅明は家を抜け出し、夜の道へと走り、今、噂の家に居る。

そよそよと風が吹けば、優しく少年の頬を撫でる。
ざわざわと草木が鳴れば、少年は心を躍らせた。

――早く、早く、早く。待ちどおしや…。

何かが引っかかったような気持ちのままで雅明は“もぞり”と動く闇の中を睨みつけた。
確かに動いた。闇が…。

――――――――――――バサッ。

唐突に強風が吹いた。
それでも目を凝らして闇を見つめる。
誰かがこちらを見ていた。
その闇から何かがそろりと出てきた。
居た。居た。居た。
風がだんだんと強くなったかと思うと、ピタリと止む。
一帯が気味悪く、耳鳴りがするほどの静寂に包まれる。
黒い何かが翼を広げた。
目を細める。

――――“彼”だ!

そう思った瞬間、少年の意識は消えてしまった。




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