「…夜魔?」

凛とした美しい声が聞こえる。
それは少年、いや、少女にも見える少年の姿から発せられた声とは到底、想像もつかないような艶っぽさや、大人びた音質であった。
しかし、少年は暗闇に手を伸ばしている。
その体制は変わらない。
だが、その暗闇には確かに誰かが居た。
先ほどとは違う闇。
その先に何があるのか少年、否、少年の形をした女は分かっていた。

「――苦しきや、悲しきや、…君亡き時、月夜も浮かばぬ。」

女はそう、口にした。
悲しき眼で女は闇に向かって囁いた。
あぁ、待っていた。
私はこの刻を。
彼を待っていた。
ずっとずっと。
――この少年の中で。
逸る気持ちを抑えつつ、ずっとアナタの帰りを待っていた。
一筋の涙が少年の頬を濡らし、さらさらと風が濡れた頬を撫でる。
女は呟いた。

「夜魔。雪じゃ…懐かしかろう…?」

そろそろと小さな声は闇に届いた。
バサリ、と何かが足元に下りた。
その姿を女は見て、喜びの表情を浮かべ、手の上に載せ、拾い上げた。
足元に下りてきたのは小さな小鳥である。
女はそれを愛おしそうに手の中で包んだ。
白い羽根に細く赤い羽根が混じっていて美しい。
そして大きく丸く黒い瞳は女を魅了した。

「あぁ、夜魔。夜魔。可愛そうに。
このような姿になりても、この雪の事を思えておったのか?あぁ、愛しや。」

小鳥は女の、否、少年の肩へと飛び移りじゃれるように頬をつついた。
女はソレを嬉しそうに、悲しそうに見つめた。
空を見上げると、そろそろ夜が明けて来くるのが分かった。

「帰ろうかのぅ。」

幸せそうに呟いたその言葉と共に女は少年に戻った。
姿や形が変わった訳でもなく、少年になる。
少年の肩には小さな小鳥。
そして少年は逃げるように走って家に帰り、抜け出した事がばれない様に寝床に着き、暫くして吐息をたて、ぐっすりと眠りについた。

******


「母上ー!母上〜〜」

ドタドタと廊下を走る音が響く。
少年はハァハァと息を切らしながら襖を勢い良く開けた。
スパァーンと特有の音がし、笑顔で入って来たこちらを見上げるのは少年の母、樹紀(ジュキ)だ。

「廊下は大きな声を出して疾走する所ではありませんよ?
…どうかしたのです?雅明…」

足音が聞こえたので、少年が入ってきたことに驚きはしなかったが、何事かと、心配しているようだった。
一方、少年は伝えたい事があるのだが、全速力で走ってきた為、息が上がって声が出ないらしく肩を上下に揺らしながら一生懸命に何かを伝えようとしている。

齢22になる母はとても若々しく、美しかった。
しかし、その漆黒の髪に隠されている右頬は酷い火傷の痕で覆われている。
夜盗に襲われた時に負わされた傷と噂されているが、本当のところはわからない。
少年からしてみれば、噂など当てにならないものだった。
ただ、大人たちの世間話のネタだと。
どちらにしても、儚く笑う樹紀の笑みの裏側に何か、暗いものがあるのは確実に思える。
少年は、息を整えて母を見据える。

「母上、鳥。あの…鳥を飼ってもよろしいでしょうか?」

樹紀は一瞬、言葉の意味が理解できなかったようだが、数秒考えて、少年を見た。
黒色の瞳を輝かせているわが子を見て樹紀は笑顔で言う。

「真明様に聞いてからになさい。
あなたが責任を持つと約束してくれたら私からも真明様にお頼み申しておきますよ。」

真明様とは少年の父上である。
真明と雅明。漢字が違うだけで読み方は一緒だなんてややこしくて仕方が無いが、家の中では父上、真明を呼び捨てにするものはいないので、呼び違えは起こらない。
外ではどうかと言うと、少年は外にはあまり出してもらえないし、父上と一緒に歩いたことは無い。
もちろん、母上とも。
そういえば、家の中では一緒に居られるのに、母上や父上と一緒に出かけたことは無い。
しかし、それでも、少年はこの二人に愛されていないと思った事は無かった。

「ホントウですか?」

少年は樹紀の言葉を聴いて嬉しそうな、驚いたような声を出した。

「えぇ、しっかりと世話をするのですよ?」

しっとりと落ち着いた声で樹紀は言った。
樹紀が許可してくれたと言うことは、ほぼ決ったも同然で少年は胸の内で飛び跳ねる。
真明、つまり父上が母上に弱いのだ。
婚姻してもう、9年はたつと言うのに2人の仲は婚姻当時から変わっていないらしく。

「はい、ありがとうございます。」

樹紀はお辞儀をして足どり軽く自室へと向かう少年を見て儚げに、その美しい顔に悲しみの笑みを浮かべた。

******


「よかった。飼ってあげられるよ」

笑顔で言う少年の前には、それは小さな小鳥が居た。
真っ白な羽根に少し真っ赤な羽根が混じっていてとても美しく、眸は黄昏色。

《かたじけない…》

人の言葉を話すはずが無い小鳥は小さな頭をペコリと下げて少年に礼を言った。
そのそぶりが可愛くて思わず笑顔になってしまう。
小鳥が何なのか、何故言葉を話すのか、少年には全てが分からなかった。
いや、分かった事は二つだけ。
何故か自分に懐いてくれているという事と、自分の中の“人”がこの鳥の――

小さな頭を指で撫でると、小鳥は摺り寄せるように頭を振る。
それからごろりと横になり小鳥を腹の上に乗せた。
この小鳥は飛ばない。
羽根に怪我をしている様子も無いが、羽根を広げようとはしなかった。

「俺にはそんな喋り難しなくても良いよ。」

無邪気な笑顔を振り撒いて少年は言う。

《否、御身は我の主。》
「だからさ、それは俺の中の人でしょ?俺はあの人じゃないよ。
――だから俺には普通で居てよ」

小鳥の言葉を塞ぐようにして少年は言葉を発する。
小鳥は小さな愛らしい眸を瞬かせた。

《御身は解って居られたのか…》

唐突な言葉に少年は首をかしげる。
問いの意味が分からなかったわけではなく、その答えをどう説明すればいいのか分からなかったのだ。
暫く、少年は首をかしげてう〜んと唸っていたが、ようやく小鳥を見据えて、口を開いた。

「いや、解ったと言うか。感じたんだ。
じゃなきゃ滅多に外に出ないボクが何であんなオンボロ家がある事を知っていたのか説明がつかないし…
それに、夢にも来たよ」

そう、一度だけではなく両の指では数え切れぬほど夢であった。
そしていつもながらにこう言うのだ。

「《お前は私、私はお前――…忘れるでないぞ》って毎回言うんだよね」

夢の中、相手の姿はよく見えない。
光など何処にも無いのに相手がそこに居ることだけは分かっていた。
不思議な夢。
不思議だからこそ、少年は信じたのだが。

《やはり御身は…》
「だからさ…」

呟く小鳥の言葉に嘆息をして、少年は起き上がり、小鳥を手に乗せ、顔の目の前まで持ってくると優しい声音で言った。

「君と俺は主と僕の関係じゃないんだ。
な?友達として傍にいてよ…」




V

太陽のような眩しい笑みが暖かく降り注いだ。

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